今週も地方出張が重なりました。この間オリンピックがカナダのバンクーバーで開かれていましたので、お会いする方たちとの話題にこのオリンピックの話がしばしば出てきました。
私は、現在のオリンピックが元々のオリンピックの精神を失ってしまっていることから関心を持っていません。元のオリンピックというのは、古代ギリシャにおけるもの、そしてその精神を再び生かそうと考えた近代オリンピックの開祖クーベルタン氏のもの。両者のものとかけ離れてしまったからです。「参加すること」が大切だと言いましても、スポーツは勝ち負けがあり(ないものもありますが、オリンピックにはありません)、勝ってナンボだということはわかるのですが、国を挙げて勝ちに行く今の風潮は違っていると思うのです。スポーツは、国と国の戦いではないはずです。何か戦争の代わりになってしまっているような気がします。優秀なスポーツ選手に国が援助をすることを否定しているのではなく、国がお金を出しているのだから勝たないといけない、国民の税金を使っているのだから成果を出せというわけです。おかしいと思うのです。それならば、どうしてあのようにたくさんの競技をしない役員と称する人が行くのですか。あれこそ税金の無駄遣いです。仕分けの対象にすべきです。
勝つか負けるかより、国やマスメディアの圧力をなくすことに力を向けてほしいのです。事前にあれだけ金メダルを取るとはやし立てたメディアは、金メダルを取れないとなると、訓練の仕方とか運営の仕方、果ては選手個人の資質を書き立ててなじるのです。そうかと思うと、持論を述べ立て出場選手のやり方にとやかく言う元選手。何とも末期症状です。
ワールドカップがあり世界選手権があり、色々な大会がある中、本当にオリンピックって必要なんでしょうか。他の大会とどう違うのでしょうか。そこを考えないと、国母選手の品格をとやかく言うに値しないと私は思うのです。
それを考えますと、2月28日に行われた東京マラソンは、まだ納得がいきます。聞くところによりますと、31万人の人がエントリー希望をしたそうです。あのみぞれ混じりの中を、絶対優勝しないとわかっている3万5千人近い人が走るのです。スポーツの原点なのではないでしょうか。国が主体となってルールを決めたりする現在のオリンピックに反対です。

カテゴリー: ブログ

アケトスタッフ

吉村作治のエジプトピアを運営する株式会社アケトのスタッフです。