10月31日に十日町に講演に行きました。きっかけは、私が今から43年前に初めてエジプトへ行ったとき色々と面倒をみてくださった早大の先輩で、今サイバー大学の客員教授をしてくださっている樋口美作先生のご紹介でした。樋口先生は十日町の出身なので、ふるさと愛で、ふるさと活性化のため、色々と骨を折っておられる一環でしょう。ご存知のように、十日町には笹山遺跡という縄文時代の遺跡があり、そこから14tの火焔型土器と6点の王冠型土器が出ています。そして、その他の出土物928点が、一括で国宝に指定されているのです。火焔型土器は、信濃川流域の新潟寄りで、日本海に面したところに多く出土しています。芸術家の故岡本太郎先生がこの形に感動を覚え、先生の作品の中に思想として組み込まれたものです。
土器は、古代エジプトでも先王朝時代(今から6000年ほど前)から、ナイル川流域でたくさん作られています。もちろん今でも土器や陶器は作り続けられています。が、エジプトの土器は実用が中心です。壷の利用目的は、穀物などの固形物や、ビール、ワイン、水などの液体を、運んだり貯蔵したりすることです。その他に、祭祀用として使う目的のものがあります。祭祀用の壷は、古代エジプトの初期から中期-時代的には古王国時代、中王国時代-にはミニチュアものが主流です。数をたくさん必要としているので小さくしたものです。もちろん、ミニチュアものの多くは祭祀が終わると埋葬されますので、土や砂の中から出土します。実際に祭礼や儀式で使用されたものは、神殿内の倉庫に収納されています。
というような考え方でいきますと、この火焔型土器や王冠型土器といった装飾型土器は、祭祀用すなわち神さまに関係したことに使われたもので、実用のものではないと考えられます。しかし、博物館の学芸員の方の説明では、実際に煮炊きした跡が残っているものがあるとのことでした。確かに、そういったものがなければ年代を決定できないわけですから、よかったと思います。しかし、実際に煮炊きしたとなると、実用に使われたと考えなければならないのでしょうかとなります。その延長線上に、これだけ手の込んだ装飾をつけているのだから、王や王族の生活用ではないかと言う人もいます。しかし今の発掘規模では、笹山遺跡は王国規模の社会ではないと思います。もちろん、これから発掘区域を広げて大規模なもの-たとえば三内丸山遺跡級-であれば王や王族用といえると思うのです。しかし煮炊きは台所でやるわけですから、台所で飾りのついた道具を使うかと考えますと、違うともいえます。それらを考え合わせますと、やはり祭祀用と考えた方がいいと思います。
それにしましても、笹山遺跡の発掘区域は狭すぎます。これだけのものが出土しているのですから、もっと広げてなるべく多くのデータを取るべきでしょう。今ですと、せいぜい100戸300人か400人の集落となり、そんな小規模の村でこんなすごいものを持っていたとは考えられないのです。唯一考えられるとしたら、こうした祭祀用の道具を作っていた集落だったということです。が、今のところこれらのものを焼いた窯が見つかっていません。まだまだ謎の多いところです。ここにはNPO法人がこのテーマで作られているそうなので、今後の動向を楽しみをもって待ちましょう。
日本にはこういったすばらしいところが数多くあります。20世紀後半の土地開発による行政主導の発掘調査が終わりを告げ、これからの発掘調査は、こうしたNPOや大学主導でテーマ性のある発掘調査の時代です。それには調査費用が限られていますので、その軽減を考えなけばなりません。そこのところが問題です。これから楽しみな笹山遺跡です。

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アケトスタッフ

吉村作治のエジプトピアを運営する株式会社アケトのスタッフです。