カテゴリー別アーカイブ: 古代エジプトの遺跡


セラペウム

セラペウム

通路沿いに埋葬室が造られたセラペウム内部/サッカラ

古代エジプト人は、動物を神の化身として、また神に仕える聖獣として崇めた。セラペウムは、プタハ神の聖牛アピスのために造られた地下式墳墓である。

創造神プタハはメンフィスで崇拝され、神殿内では聖なる牛アピスを飼育、死後ミイラにしてセラペウムに埋葬した。

造営されたのは第19王朝ラメセス2世時代で、その後、第26王朝のプサメティコス1世や第30王朝ネクタネボ1世の拡張工事を経て、現在の全長198mとなった。内部には28の埋葬室と24の花崗岩製石棺が残されている。

また、セラペウムはエジプト人だけでなくギリシア人にも信仰された。

ウナス王のピラミッド

ウナス王のピラミッド/サッカラ

ウナス王のピラミッド/サッカラ

古王国時代第5王朝最後のファラオ、ウナス王のピラミッドは、現在では崩れた丘のようになっているものの、建造当時は底辺部57.5m、高さ43m、葬祭殿や河岸神殿、参道などを有する、立派なピラミッド複合体を呈していた。

しかし最も注目されるのは、玄室の壁面にびっしりと書かれたピラミッド・テキストである。王の復活やオシリス神の復活、王が太陽神に迎えられる話などで構成される宗教文書は、葬儀の際に神官によって唱えられたが、呪文の内容など解明されていない部分が多い。

ウナス王以降もテティ、ペピ2世などのピラミッドに書かれたが、中王国時代には棺に書かれたコフィン・テキスト、新王国時代には死者の書へと変容していった。

階段ピラミッド

ジェセル王の階段ピラミッド/サッカラ

ジェセル王の階段ピラミッド/サッカラ

古王国時代第3王朝のジェセル王が造った最古のピラミッド。宰相イムヘテプの設計による。

最初1辺63m、高さ8mのマスタバ墳だったが、改築を重ね、最終的には底辺部140m×128m、高さ60mの6段の階段状ピラミッドとなった。

東西277m、南北545mの周壁の中には、セド祭(王位更新祭)のための神殿や葬祭殿、広い中庭、柱廊などが配され、壮大なピラミッド複合体をかたちづくっている。

セド祭殿地下通廊にある、青いファイアンス製タイルでジェセル王を描いた偽扉や、独立せずに壁に付けられて立つことから、円柱の原形と考えられる柱廊の石柱、また葬祭殿の地下のセルダブ(貯蔵庫)に置かれた王のレプリカ像など、見るべきものは多い。

サッカラ

右手前がウセルカフ王、左奥がジェセル王の階段ピラミッド

右手前がウセルカフ王、左奥がジェセル王の階段ピラミッド

カイロからサッカラ街道を経由して約40分、初期王朝時代から墓地として王や貴族の墓が営まれたサッカラに着く。

サッカラには、特に古王国時代の遺跡が数多く残り、最古のピラミッドであるジェセル王の階段ピラミッドをはじめ、ピラミッド・テキストが書かれたウナス王のピラミッド、テティ王のピラミッド、メレルカやティの墓など、古王国時代の貴族たちのマスタバ墳などがある。

 

メンカウラー王のピラミッド

メンカウラー王のピラミッド

メンカウラー王のピラミッド

ギザ台地にある王のピラミッドで、最も小さいメンカウラー王のピラミッドは、底辺部の1辺108.5m、高さ66.5m。

クフ王の息子メンカウラー王は、ギリシアのヘロドトスによる『歴史』の中で「慈悲深い王」として書かれている。これは他の2つに比べ大きさが極端に小さいことによるが、実際は王が急逝し設計変更が生じたためと考えられている。王の死後、シェプセスカフ王が完成させた。南側には王女の小さな衛星ピラミッド3つが残されている。

なお出土した石棺や遺物はイギリスへ運ばれる予定だったが、船が嵐に遭い、ほとんどが海の底に沈んでしまった。

大スフィンクス

大スフィンクス

大スフィンクス

カフラー王のピラミッドの参道横に位置する大スフィンクスは、ギザ台地で最も古い建造物である。全長57m、高さ20m、胴体部は石灰岩の岩盤から削り出し、頭部は別の場所から持ってきた泥岩や頁岩を利用して造られた。

スフィンクスとは、古代エジプト語で「永遠に生きる姿(シェセプ・アンク)」という意味で、神殿の参道の守護神や、あるいは王そのものの姿として無数に作られた。

大スフィンクスの前足の間には、新王国時代第18王朝のファラオ、トトメス4世の「夢の碑文」が建つ。まだ王子だった頃のトトメス4世の夢にスフィンクスが現れ、願い通りに砂から掘り出してやったところ、約束通り王になれた話が書かれていることによる。

スフィンクスが砂に埋もれていたのは歴史上珍しいことではなく、18世紀末のナポレオンのエジプト遠征時も、胴体は砂に埋まっていた。現在のような姿を見せてくれたのは、実に1926年のことである。

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッド

カフラー王のピラミッド

クフ王の後継者カフラー王も前王に次いでギザ台地にピラミッドを造営した。底辺部の1辺215.5m、高さ143.5m、通称第2ピラミッドである。

最上部の石灰岩、基部の花崗岩と、外装用の化粧石が残っており、全面が化粧石で覆われていた建造当時の姿を偲ばせてくれる。

入り口は途中で放棄された地上の石畳の中と、積み石の10段目とにあり、後者から入る玄室には壊れた石棺だけが発見された。

カフラー王のピラミッドは、ピラミッドおよび葬祭殿、参道、河岸神殿などからなるピラミッド複合体として残されており、貴重な資料となっている。

太陽の船

復原・展示された「第1の太陽の船」 /ギザ・太陽の船博物館

復原・展示された「第1の太陽の船」 /ギザ・太陽の船博物館

1954 年、エジプトのギザ台地に悠然と聳え立つクフ王のピラミッドの南側から、大型の蓋石が発見された。その下には、全長32.3メートル、幅4.9メートル、深さ5.2メートルのピット(竪坑)があり、分解され部材として納められた「太陽の船」があった。

古代エジプトの人々は、毎日変わることなく繰り返される太陽の運行を永遠の秩序ととらえ、太陽を「ラー神」として信仰していた。ファラオはラー神と同一視されており、その死後は、ラー神とともに「太陽の船」に乗り、昼の船で天空を、夜の船で冥界を永遠に航行すると考えていたのである。

1954年に発見された「第1の太陽の船」は、13年をかけて復原された。そして、これと対になる船の存在を信じた吉村作治教授が、1987年電磁波地中レーダーを用いた探査を行い、「第2の太陽の船」を発見。1993年には、木片のサンプリングとピット内部の撮影に成功し、その存在を確認した。

現在、吉村教授を所長とするNPO法人太陽の船復原研究所が、この「第2の太陽の船」を発掘・復原するプロジェクトを進めている。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッド(ギザ)

クフ王のピラミッド(ギザ)

今から4500年程前、古王国時代第4王朝2代目のファラオであるクフ王のピラミッドは、通称大ピラミッド、あるいは第1ピラミッドとも呼ばれ、本来の底辺部の1辺230m、高さ146m(現在の底辺部220m、高さ137m)の巨大な建造物である。

訪れる観光客は、本来の入口からではなく、9世紀にアル=マムーンが開けた盗掘口から中に入ることができる。狭い上昇通路を抜け大回廊を登り切った奥に、「王の間」と呼ばれる部屋があり、石棺らしきものが置かれている。しかし他のピラミッドも含めて、ピラミッドからは王のミイラは見つかっておらず、「ピラミッド=王の墓」という図式には疑問の声も高い。

クフ王のピラミッドには、石の重量を減らすためと思われる「重量軽減の間」など、様々な工夫がなされている。また早稲田隊は、1987年に電磁波探査によって、このピラミッド内部に未知の空間を発見した。

ギザ

ギザの三大ピラミッド

ギザの三大ピラミッド

カイロから南西に13km、ピラミッド街道を抜けると、3大ピラミッドで知られるギザ台地に着く。

ピラミッドは砂漠の砂の上にあると思われがちだが、実際は硬い岩盤の上に建てられている。遠くカイロ市街まで一望できる台地には、クフ王、カフラー王、メンカウラー王など、古王国時代第4王朝のピラミッドが建造された。

第6王朝まで墓地として用いられたこの地の一帯には、貴族のマスタバ墳も数多く造られ、一大ネクロポリス(死者の町)が形成されている。