カテゴリー別アーカイブ: コラム


自然にはかなわない

4月17日から20日エジプトに行ってたのですが、アイスランドの火山噴火の影響のすごさを実感しました。出発前にこのことは知っていたのですが、かなり前に帰りのチケットをロンドン経由でとっていたので、心配はしたのですが、18日にはヨーロッパ線が大丈夫になるだろうとの楽観的な考えに乗って、帰りの便を19日のBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)にしたまま日本を出ました。
ところが、やはりというか当然というか、19日のBAのカイロ発はフライトキャンセルのままでした。日本で考えたり集めた情報って、あまり役に立たないのです。まずエジプトに着いて驚いたのは、ヨーロッパ系の航空会社の飛行機が1機もないということでした。エジプト、アラブ、アフリカ系の航空会社のものだけです。飛行場、待合室、空港周りの駐車場がガラガラです。ラウンジも、いつもはびっしりなのに、座っている人が少ない風景に戸惑います。やはり、エジプトはヨーロッパに近いということでしょう。ヨーロッパから来たツーリストでヨーロッパへ帰る人、エジプト人でヨーロッパへ行く人、カイロを中継点にしている人は、すでに諦めて空港周辺のホテルにいて、回復を待っているとのことです。
私は、ミスルトラベルというエジプトの国営旅行社に頼んで、何とかヨーロッパを経由しないで日本に帰る便を探してもらいました。20日発21日着ですと、エジプト航空の関空行きがありましたが、20日夕方に用事がありまして、なんとか20日昼頃日本に着きたいと申しまして、トルコ経由、ギリシア経由、エマラート経由、バンコク経由、シンガポール経由、韓国経由、すべてを当たった結果、アブダビ経由のエティハド航空という、今まで一度も乗ったことのない航空会社の便が1席とれました。ガルフ周辺といえばガルフエアに決まっていた私の常識が変わりました。
エティハドとは、ユニオン(連合)という意味のアラビア語ですが、それが成田に乗り入れているということすら知りませんでしたから、びっくりしました。これに乗りますと、19日午後1時カイロ発、午後6時45分アブダビ着、午後10時アブダビ発、20日午後1時半成田着です。まるで西村京太郎の小説の国際版のようでスリルがありますが、身体はかなり辛いでしょう。エジプト航空ですと、乗れば直行で11時間半で成田に着きます。これですと、待ち時間を入れますと、時差をとって24時間かかります。いったんヨーロッパに寄るロンドン経由で19時間ですから、どうしてこうなるのと言いたいです。でも、予定通り帰れることを神に感謝しなければいけません。なんといっても自然の力にはかないません。泣く子と自然にはかなわないです。

新党続々

4月10日に「たちあがれ日本」という新党が結党宣言を行いました。おそらく、これに続く小新党が、これから参議院選挙にかけて続々と作られるだろうと言われています。新聞やテレビは、うれしさのあまりフィーバーしています。活気がつくのはよいことですが、冷静に見ることも大切です。
なぜ私たちは半年ほど前に、政権交代を託してまで民主党を選んだのですか。マニフェストどおりしないとか、ぶれているとか、首相に指導力がないとか、政治資金が不透明だとか、沖縄の問題が片付かないだろうとか、色々言っていますが、1年も経たずして言ったことをできるのですか。私たちはいつからそんなにせっかちになったのでしょう。戦後60年近く、ほとんどを自民党に任せてきました。それはそれなりに、日本をよき方向に導いてくれたと思います。ですから、こんな狭い国土に1億2千万人もの人が幸せに暮らせるようになったのです。でも、政権が変わればもっとよくなると思った私たちは、自民党から民主党に変わってもらったのです。少なくとも2、3年は黙ってお手並みを拝見すべきではないでしょうか。
マスコミはどうしちゃったのでしょう。マスコミは批判勢力として存在価値があるのですから、是々非々で批判するのはいいと思いますが、批難合戦になってしまっていませんか。今日本に必要なのは、マスコミにおだてられて新党を続々と作るのではなく、二大政党制ってどういうことかを試すときではないでしょうか。きちんと検証し、日本になじむのか否かを見るべきではないでしょうか。これからは小党が乱立し、それが連立するときだなんて息巻いている評論家もいます。何を言ってもいいですが、評論家は自分のパフォーマンスのために言わず、日本のためになるように言ってほしいです。
数は力です。自民党の不満分子の方々、どうか小党乱立で国を乱さないでいただきたい。自民党が強くないと、民主党も強くなれません。そして、政策を打ち出して国会で戦ってください。テレビや新聞で格好つけないで、国会できちんとやってくださいとお願いしたいです。政治が芸能化しないようにしてください。笑われるのは芸能人だけで十分です。

卒業式

3月下旬は、日本列島卒業式ラッシュです。毎年の恒例行事とはいえ、これに費やされる時間、エネルギー、費用など大変なものです。もちろん、もったいないとか、やめた方がいいとかいう批判的なことでなく、人間にとってメリハリのある非日常的なことのすばらしさを申し上げているのです。ともかく、忘年会と新年会、卒業式と入学式は、日にちも近く、同じ趣旨のようなものが近くにあっても、みなそれに何の抵抗もなく、と言うよりも、進んで参加する日本人の心意気に感心します。
我が出身校早稲田大学は、毎年3月25日に卒業式が全学的に行われます。25日は、早稲田界隈は学生と親でごった返します。交通渋滞です。みなうれしそうです。1日で約1万人がここに集まるのですから大変です。しかしいつも雨が降るのです。涙雨と私たちは呼んでいます。と言うのも、翌26日は晴れですから、どうして1日でこんなにも違うのか。女子学生は貸衣装の着物、袴がびっしょりでしょう。でもこの日がうれしいのです。
そして、あと5日か6日で入学式。私から見れば同じような儀式ですが、集う学生の顔が違います。そして入学式はいつも晴れるのです。神さまはわかっているのでしょう。
私は高校卒業以来、こうした公式の晴れがましいところに出ないことにしています。理由は、居場所がない、居心地が悪いということと、忙しくて忘れてしまうということがありますが、もっと大きな理由は、出なければいけない理由がなく、役職者になったことがないからです。
しかしサイバー大学ができ、学長になってから、必ず出ないといけないと固く申し付けられていますので、出て挨拶をします。やってみると、それなりに感激します。サイバー大学は今年で建学3年、いよいよ4月から4年目に入ります。完成年度です。入学者は今年も約200名と少ないですが、みな動機もしっかりとしていて、期待が持てます。
しかし、もっとうれしくてすごいことが3月21日にありました。と言うのは、完成年度前というのに卒業生が出たのです。3年で卒業-早期卒業といいます-です。おそらく日本で明治以降初めてで、これからも起きないことと思います。3人とも、社会人で仕事をしている人です。月100時間、年約1000時間勉強したということです。働いている時間の約半分です。ともかくがんばったのです。そのうち1人は会社経営をしていて、あとの2人は大学院へ進みました。人生航路で舵を切ったのです。学長としてとてもうれしいです。こういう大学、大学生が増えるといいです。

クロマグロ禁輸案否決について

3月18日にドーハで開かれていたワシントン条約締約国会議の第1委員会で、太平洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止案が否決されました。そして、3月25日の全体会合でも禁輸案が回避される見通しだ、という新聞記事を読み、ほっとしたり、よかったと思った日本人は多かったと思います。私もそのひとりです。もちろん、まだ米国やフランスの動きの中に怪しげなものがありますので油断はできませんが、クロマグロ論争が収まりつつあると思います。
しかし、これで終わりでいいのでしょうか。クジラにしてもマグロにしても、欧米人のやり方は日本人にとって理解できないと考えて、所詮文化の違いだ、あとは数の勝負だと、味方を多く作って日本の立場を守っていけば、今回のように勝利できると考えている人も少なくないと思います。確かに、対処法としてはそうかもしれません。今まで何かにつけて日本の立場を悪いものにする欧米の意地悪さに、日本は外交の面-必ずしも外務省がというわけではなく、すべての省庁、公的機関の対外的活動を含めてです-でおとなしすぎたというか、主張が弱かったと言われています。しかも、日本文化の極致である根回しが国際的に行われていなかったわけですから、今回大差で勝利したということは、この根回しがうまくいったと言っていいでしょう。根回しがうまくいった理由は、日本が上手になったということ以外に、今回クロマグロを獲って売っている国々との利害と合っていたこと、それをうまく突いたことが挙げられるでしょう。
しかし大局的に考えますと、これからどしどしクロマグロを獲っていいと言われたわけでなく、資源のことを考えますと、大量消費国である日本は自粛しなければならないし、国際ルールに則って買い付けをしなければならないと思うのです。そして一方では、近畿大学が成功したクロマグロの養殖をもっともっと評価し、応援しなければならないでしょう。
しかし、気になったことがひとつありました。それは、3月20日付の北海道新聞2面に載っていた記事で、赤松広隆農水相が「実は勝算十分でしたが、危機感を演出したので勝利した」ということを言っていたことです。裏はそうなのかもしれません。しかし、この時機にこういうことを言うのはよくないと思うのです。このことで、赤松氏の人間性、政治の傲慢性と、ペテン師的手法をもって、国民やマスコミを誘導できるという傲慢さがにじみ出ています。幼稚なはしゃぎと、自分の考えの深さを皆の前で言うという、政治家の浅はかさを示した言葉です。本当に嫌なはしゃぎ方です。こんなことが世界に知られたら、次回は必ず負けます。

男の家事

最近、夫婦別姓とか女性社会参画とか男性の家事参加とか、男性と女性の社会的活動に関わることが問題提議されています。新聞を読んでいましたら、「ソフリエ」とか「パパリエ」という言葉が目につきました。祖父や父親の育児の資格が作られたということでした。従来は、祖母や母親が育児をするのが当たり前という風潮でしたから、男性も家事はもとより育児もすべきと私は考えています。しかし、それに資格をとなると「ちょっと待ってください」と言いたくなります。と言うのも、これは男性をおちょくっているとしか思えないからです。身体的特徴から男性と女性は違うものですが、社会的、文化的な存在という意味では、男性も女性も同じですし、同じでなければならないと思うのです。原始の時代から古代にかけての男女が社会的に分業している時代はともかく、中世から近代にかけての男女を差別していた時代から決別しています。そして今、関係的、精神的特徴はともかくとして、1個の人間として男性も女性も認識すべきだという考えのもと、すべてを行うべきだと思います。
夫婦別姓に強く反対している人々の主張は、別姓になると家庭が崩壊するとか、子どもはどっちの姓を名乗っていいかわからないといった、幼稚な反対論です。家庭は、すでにずっと前から崩壊し始めています。子供の姓は、まず生まれたときは父親でも母親でも夫婦が決めればいいわけで、何の障害にもなりません。そして、成人したときに子どもがどちらかの姓を選べばいいわけです。私はもう一歩踏み込んで、そのときにファーストネーム(名前)を変えられるチャンスも与えるべきと考えています。私の名はとても気に入っていますから変えたいとは思いませんが、親の趣味で変な名をつけられ、それを一生抱えていくのは気の毒です。みなさんも、自分の子の名に「悪魔」なんてつけようとした親がいたことを覚えていると思います。こういうことを是正する意味でも、1回チャンスを与えるべきです。
こう言うと、役所の仕事が倍になり、個人情報の観点から云々という人がいると思いますが、こういった複雑なことを間違えないために、IT技術があるのです。男性と女性の問題は、基本的には、潜在的な「オス・メス」の動物としての感覚以外(子どもを産むことも含めて)ないと思います。それを広めるためには、もちろん多くの問題が個別にあると思いますので、21世紀の人類というか人間社会の重要なテーマとして、真の男女平等を目標にすべきと思います。しかし私は、女性主導の、女性優位を勝ち取ろうという下心が見え見えのフェミニズム的な運動は嫌です。

サイバー大学学生とのオフ会

2月13日、14日に「ダイドードリンコ日本の祭り」で、神戸南京町春節祭に行くことをチャンスに、サイバー大学の関西地区の学生が約20名集まってくださることになりました。13日の夜、仕事がひと段落した時間にオフ会を開いてくださいました。とてもうれしかったです。講演や展覧会で地方に行きますと、1人、2人と「私サイバー大学の学生です」と声をかけてくださる方がいます。しかし、このようにたくさんの現役学生(ほとんどがお勤めをされています)が集まって、私と話をしたいと言ってくださるのは、本当にありがたいことです。
同席者には、大学で教えてくださっている2名の先生もいらっしゃいまして、3つのテーブルを私たちが動くのではなく、学生がグループで回ってくださるのですから、ありがたいです。話題は色々ありましたが、やはり一番多いのは大学への要望でした。思ったほどクレーム的なものはありませんでしたが、色々な要望、改善アイディアをいただきましたので、できるところから直していこうと思います。私も約10分サイバー大学の現状を述べ、学生に理解していただく努力をしました。学生獲得のため、知り合いに働きかけてくれるようお願いしました。広報・宣伝が足りないとの指摘がありました。もっともなことですが、今の日本は広告費が高いことと、余力がないことを説明し、在学生と教員が口コミで知ってもらう努力をしなければという説明をしました。数は力なりという言葉が政治の世界にはあるようですが、やはり、一定以上の学生がいないと大学もやっていけないのです。しかし、早稲田大学の創立時には、学生数が少なくて大隈先生も大変な苦労をなさったということが大学史には残っています。ですから、その後輩である私が苦労するのは当たり前のことでしょう。
それにしましても20名近くの関西の学生が集まってくださって、本当にうれしかったです。祭りの行事がおしましたので、みなさんと一緒にいられたのは1時間ぐらいでしたが、テーブルを移りながら多くの学生に色々な会話をしました。ほとんどの人が社会人で、勤めながら学んでいる方でしたが、意欲は強いものがありました。1日も早く安定した学生数になるよう努力しないといけないと感じた一晩でした。

講演会の質問

私は、基本的に講演会で質問を受けないことにしています。理由は、あらかじめテーマをお知らせして来場していただいているのだから、そのテーマについて十分時間を使いたいからであります。それと、質問をする方は、自分のことを話したり、自説を述べたり、郷土史家の方は、その土地のこととエジプト文明を無理やり結びつけ論評を求めてきたりする人が少なくないからです。それと、エジプトに行くにはいつがいいかとか、おすすめの場所はとか、ガイドブックとか旅行代理店に聞けばいいこともあって、パフォーマンス的に聞く人が多いからです。普通講演時間は90分ですが、スライドに30~40分かかりますので、中身は60分弱です。丁寧に話しますと時間が足りないのです。しかし主催者によっては、開かれた講演会として見せたいので、どうしても質問をさせてほしいという主催者もいます。そこまで言われると、受けるしかないのです。
先日あったことですが、講演の中でミイラの話が出て、「ミイラには、死体を腐らせなくするためにいろいろ処置をしますが、最後にミルラという植物の油を塗るので、ミイラといわれたのです。百科事典などに、アラビア語でアスファルトのことをアル=ムミアというのでミイラになった、とあるのは間違いです」と言ったことへの質問でした。話の内容についての質問ですからいいのですが、それは、質問というよりその人の意見だったのです。曰く「ミイラの語源はフランス語です」と言い切るのです。その理由をくどくど言っていましたが、フランス語ができる前、その基になっているラテン語、ギリシア語以前のエジプト語が語源です。と言っても聞かないで主張するのです。この手の人は手に負えません。「そう思っているのなら、どうぞそう思っていてください。私はかまいませんから」と言う以外ありません。ディベート番組でもシンポジウムでもないのですから。そうすると、「では百科事典は信用できないのですか」と他の人が切り込んできました。私は、百科事典全部を読んだわけではなく、そう記述してあったら違いますよ、と言っているのです。もちろん、百科事典も教科書も人が書いていますから、誤りも多々あると思います。また、改訂されるケースが違うので、間違いがそのままになっている場合もあります。私の言いたいことは、「ミイラの防腐にはいろいろな方法を使っています。それほど、人体を後世に残す努力をしているんです」ということなんで、「ああ、そうか」となればいいのです。
基礎的な勉強もしていない人が、生半可な知識とその場の思いつきで学説の如く述べるのはやめてもらいたいと思うのです。だから質問は嫌なんです。サイバー大学のBBS(授業掲示板)にくるものはまっとうなものが多く、全て丁寧に答えています。

サービスについて

不況でモノが売れなくなり、売り上げが極度に減少したため閉店するところが増えました。特に地方都市にその傾向が強いです。いわゆるシャッター通りといわれる町で、その町の目抜き通りの商店が、軒並み閉店を余儀なくされてしまっていることをいうのです。もちろん不況というだけでなく、郊外に大型店ができて客がそっちに流れてしまったということもありますが、とてもさびしいものです。西部劇でゴーストタウンというのがありますが、そういう感じです。食堂やレストランも客が少なく、いつまで続くのかしらと心配してしまうところも少なくありません。地方都市どころか、東京の町でもそういう傾向があります。どこの店に行っても人はまばらです。
人がたくさんいるところは、安売りのところです。物価は低い方がいいと思いますが、そのことでお店やレストランが続けていけなくなっては大変です。政府のバラマキ政策は、いい影響を及ぼすのでしょうか。子ども手当て支給で、お母さんはそのお金をきちんと消費してくれるのでしょうか。パチンコや競馬など、ギャンブルにつぎ込んだりしないでしょうか。そのお金を狙って詐欺が流行しないでしょうか。
しかし、私ごときがそんなことを心配しても始まりません。しかし最近、店のサービスがよくなったことを感じます。リストラでクビになったら困る、と若者が感じ始めたのでしょうか。店をつぶしたらいかんと思った店の主人が、従業員を指導し始めたのでしょうか。ともかく愛想がいいのです。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またいらしてください」。当たり前の言葉を、声を出して言うようになりました。どんな理由でも、気持ちがいいですね。こんなことなら、これからもずうっと不況であってほしいなどと、不届きなことを考えてしまいます。サービスとは、相手に気持ちよく思ってもらうことですから、好不況に限らずしてほしいです。「今日もニコニコ現金商売」です。

天気予報がよく当たる昨今です

当たらない代名詞が天気予報といわれていました。街角の占い師の言うことが万が一当たっても、天気予報は当たらないといわれていました。しかし、最近の天気予報はよく当たります。大雑把な地域とか都市の、晴れとか雨とかは当たるのはわかるのですが、町単位でも予報が出ていて(テレビがデジタルになったおかげで、スポットの予報を検索できる便利な世の中となりました)、それが、1時間単位で予報が出ていて当たるのです。
どうしてなのでしょう。と言うより、どうして以前は当たらなかったんでしょう。気象予報士制度ができて、民間でやるようになったからでしょうか。それとも、気象衛星の性能がよくなったのでしょうか。予報士の質が上がったのでしょうか。謎だらけです。気温も湿度も風の強さ、向きなど、すごく細かいことまで教えてくれます。しかも無料でです。誰がこれらの費用を払っているのでしょうか。よく考えると私には無関係なんですが、泉のように疑問が湧いてきます。それと、気象予報士の説明がわかりやすく、また、いわゆるしゃべっていると噛まないのです。ユーモアがあります。親しみやすい人が多く、また、嫌味のない人が多いのです。弁当屋さんとかイベントをやる人にはとてもいいのでしょう。
しかし、あまりにもこの予報に頼りすぎたり信じすぎると、一旦はずれると大変です。世の中絶対ということはないのですから、確度が高すぎるのは考えものです。当てにできない程度の方がいいのです。どんな予報を出しても、人間は天候を変えることはできないわけですから。天気予報はほどほどに。

支持率

最近の新聞の調査で、鳩山政権の支持率が50%を切り、不支持率の方が支持率を上回り、危険水域に近づいたと報道されています。鳩山由紀夫首相と小沢一郎民主党幹事長の政治資金の疑惑が原因だとのことです。
私は、自民党のときもそうでしたし、今回のもそうですが、支持率云々をうさん臭く感じています。各新聞はそれなりのフェアな方法でやっていると言うでしょうが、少なくとも私は、生まれてから一度もこの手の調査を受けていませんし、私の周りの友人・知人の中で、1人として調査された人はいません。一体誰が受けているのでしょう。500人とか1000人とかで、この率をあたかも伝家の宝刀のように振りかざしていいのでしょうか。不思議というか、納得がいかないのです。調査の仕方、聞き方が、誘導調であるとも指摘されています。「これはおかしいでしょ」「これじゃ支持できませんよね」、と支持率が下がる前に悪印象を与える報道をし、支持率を下げ、そのことを書いて、また支持するか否かを聞いて書く。マッチポンプと言えば言えます。それをほとんどの新聞が書き、テレビが後を追う。そして記事を読むと、あたかも犯罪者のように表現する。
まるでマスコミ関係者が検察官のようだ。ついでに裁判官までやっている。「検察ごっこ」と言う人もいる。裏で検察のリークがある、と書いている雑誌もいる。しかし検察は何も言わない。それはそうで、検察はまじめにコツコツと調べているはずだから、それを途中で言ったら元も子もなくなるだろうから言わない。世論を検察側に向けて有利にしようとしている、と言う評論家もいる。しかし違うのではないだろうか。検察が違うというのではなく、私たちの捉え方が違うのだ。検察をもっと信用して委ねるべきだと思うのだ。そのために、税金から給料と諸費用を払っているのだ。調べるのを任せているはずで、その途中で何かを発表するのも、それを取り上げるのもおかしい。
マスメディア、特にワイドショーに出ている評論家が自分で調べきれるわけでもない情報を元に、しかも狭い見識を元に怒り糾弾する陳腐さ。しかし、庶民は感化されてしまう。UFO論争ならそれでいいが、政治はそれじゃいけないと思う。マスコミは、知る権利、知らせる権利を持ち出す。原理はそうだが、もし新聞の報道が違っていたらどう責任を取るのか。冤罪を叫ぶマスコミは、その事件のときの記事を読んでみたらいい。ある時は持ち上げて、ある時は落っことす。あまりにも非人道的ではないだろうか。不正な政治資金の集め方、蓄財、法を犯す、全て犯罪だ。時の権力者に真っ向から立ち向かう検察はすばらしい。しかし決着したわけじゃない。検察だって間違えることもあるだろう。しかし、マスコミがここまで世論を作ってしまうと、検察も引くに引けなくなってしまう。マスコミは罪作りな存在ではいけないと思う。
もうひとつ、私たちは選挙のとき、民主党の掲げたマニフェストに1票を投じたのだ。もし検察は、そのとき今のことがわかっていたら、その前に問題提議すべきだったのではないだろうか。私は民主党員でもないので党内のことはわからないが、少なくとも着々とマニフェストで言ったことをやっている現在、私たちはおとなしくそれを見守り、支持していくべきではないだろうか。政治とカネの問題はもちろん大切だが、今私たちの生活をよくしてもらうことも大切だ。もう後戻りや混乱や崩壊は嫌だ、というのが本当の国民の考えだということをわかってほしい。