古代エジプト調査隊の歩み

早稲田大学古代エジプト調査隊の活動は1966年のジェネラル・サーベイによって幕を開けた。今でこそエジプトの数多くの遺跡で調査・研究を行っている早稲田隊だが、エジプトでの発掘権を取得するという、その第一歩は非常に困難なことであった。3年をかけ、アジアの国で初めての発掘権を獲得した後、72年、ルクソール西岸マルカタ南遺跡に記念すべき最初の鍬をおろすことができたのである。その後は、ハイテク機器を駆使した独自の方法で精力的に調査を進めていき、クフ王の「第2の太陽の船」やラメセス2世の第4王子カエムワセトが建立した石造建造物の発見、人工衛星によるダハシュール北遺跡の発見など、数々の成果を挙げている。困難さえ次なる成功へのステップにしてしまうバイタリティーこそ、早稲田隊の財産と言えよう。


ジェネラル・サーベイ

ダハシュール・赤ピラミッドの前で(一番左が吉村教授)

ダハシュール・赤ピラミッドの前で(一番左が吉村教授)

1966年、早稲田大学3年生だった吉村教授と、同じ志を持つ仲間4名、そして故・川村喜一教授による、日本人として初めてのエジプト踏破調査。この調査では、地中海に近いアレキサンドリアからナセル湖畔のアブ・シンベルまで、ナイル川に沿ってほぼエジプト全域に広がる遺跡群を、約半年間かけて2回にわたって調査した。

マルカタ南/ローマ住居址

ローマ住居址での作業風景

ローマ住居址での作業風景

1972年1月、早稲田大学エジプト調査隊が発掘に当たった最初の地がルクソール西岸マルカタ南遺跡であった。マルカタ南は、正式にはデイル・アル=シャルウィートと呼ばれる地域で、グレコ・ローマン時代に建てられたイシス神殿址がある。発掘はその神域に残るローマ時代の建物址から始められ、先王朝時代の化粧板やスティック、テラコッタ製のランプ、石灰岩製の牛頭神像、コイン、オストラコンなど数多くの遺物が発見された。

マルカタ南/魚の丘遺跡

彩色階段

彩色階段

1974年1月からの第3次マルカタ南遺跡発掘調査において、イシス神殿の北方250mに位置する「魚の丘」(コム・アル=サマック)の発掘が開始され、彩色階段が発見された。幅3.5m、奥行き55cm、高さ5cm、踏面に捕虜と「不戦の弓」の絵が交互に描かれているこの階段の発見は、世界的なニュースとなった。続く第4次調査で、この建物址が新王国時代第18王朝のファラオ、アメンヘテプ3世の儀式用のものであると判明。その後も色鮮やかな彩画片が大量に出土し、現在も復元研究が続けられている。

アル=フスタート

1978年から84年まで早稲田隊が発掘調査を行ったアル=フスタートは、カイロの南に位置し、7世紀から12世紀にかけて繁栄したイスラーム時代の都市である。アル=フスタート遺跡からは、東西交流の要地であったことが偲ばれる白磁などの中国陶磁器やガラス工芸品、装飾品など多量の遺物をはじめ、多数の遺物やイスラーム時代の建物址が出土している。なお、84年以降の調査は(財)中近東文化センターに引き継がれている。

クルナ村貴族墓

約200体のミイラや人骨を整理する調査隊員

約200体のミイラや人骨を整理する調査隊員

ルクソール西岸に位置するクルナ村は、新王国時代の岩窟墳墓群が建造されている村で、その墓は村人の住居にもなっている。「魚の丘」との比較研究を目的として、1980年12月から調査は始まった。84年には317号墓から200体にものぼるミイラが発見され、また、86年12月に始まったドゥラ・アブー・アル=ナガ地区の調査では、W4号墓(早稲田隊が発見した墓には「W」の頭文字がつく)から色彩が残る男性彫像や石柱などが発見されている。

マルカタ王宮址

王の寝室の壁に残る装飾画

王の寝室の壁に残る装飾画

新王国時代第18王朝最盛期の王、アメンヘテプ3世は、本来ならば死者の地であるナイル川西岸に居を構えた。それがマルカタ王宮である。早稲田隊は1985年12月から、この2km四方にも及ぶ王宮の遺跡調査を開始した。日乾レンガで建造された王宮の壁や天井には色鮮やかな彩画が残されており、また大量の彩画片も発見された。なかでも、王の寝室の天井に描かれていたと考えられるネクベト女神のモチーフについては、原寸大で復元することに成功している。

ピラミッド調査

女王の間。電磁波探査レーダー機器を使い、  壁面を傷つけることなく調査を遂行

女王の間。電磁波探査レーダー機器を使い、壁面を傷つけることなく調査を遂行

1987年1月、エジプト政府からの要請を受け、早稲田隊はエジプトに現存する最古の真正ピラミッドであるクフ王の大ピラミッドの調査を開始した。遺跡を破壊せずに内部構造を調べることを目的としているため、電磁波レーダー探査機や微小重力計など、最新のハイテク技術を駆使し調査にとりかかった。これにより、大ピラミッド内部の未知の空間や「第2の太陽の船」の発見という大きな成果をもたらされた。

第2の太陽の船

ピットから木片を取り出した時の様子

ピットから木片を取り出した時の様子

1987年のピラミッド調査時で、大ピラミッドの南側、既に54年に発見されている「第1の太陽の船」のピット(竪坑)の西隣でもう1つのピットの存在が確認された。87年10月には、アメリカ隊がピットの蓋石に穴を開け、ファイバースコープで内部の様子を撮影し、分解された木材を確認。93年1月、早稲田隊がその穴からマジックハンドを備えたマイクロ・カメラ・ユニットを入れ、船の木片のサンプリングに成功した。2008年には「第2の太陽の船」の復原プロジェクトが始動し、2011年6月22日には竪穴をふさいでいる石蓋(平均17トン、枚数合計約40枚)の1番目の取り上げが成功した。石蓋の取り上げは完了し、木材の取り上げに向けて作業が進行している。

王家の谷・西谷発掘調査プロジェクト

王家の谷・西谷での作業風景

王家の谷・西谷での作業風景

1988年12月から予備調査を行い、89年8月からは電磁波調査、重力調査、誘電率探査といった複数の物理探査技術を用いて調査を開始した。94年12月には「ヒュッテ」と呼ばれる墓所建造時の監督所址を発見し、その後の調査でこの石組遺構は、第18王朝時代のものと推定された。また、アメンヘテプ3世墓やその周辺地域の調査も実施し、王墓内からは王名の記された木片や、木棺の一部なども出土している。

アブ・シール南丘陵遺跡発掘調査プロジェクト

カエムワセトの石造建造物と日乾煉瓦遺構

カエムワセトの石造建造物と日乾煉瓦遺構

アブ・シール南丘陵遺跡はサッカラの北西に位置する小高い丘にあり、1991年に調査が開始された。丘陵の頂部からはラムセス2世の第4王子カエムワセトの石造建造物や、アメンヘテプ2世とトトメス4世の日乾煉瓦遺構などが発見されている。また、丘陵の斜面からは中王国時代に年代づけられる岩窟遺構、石積み遺構をはじめとする初期王朝時代末から古王国時代第3王朝に年代づけられる活動の痕跡が発見された。さらに、丘陵頂部、カエムワセトの石造建造部の北東約40mの地点からトゥーム・チャペルが出土し、カエムワセト王子の娘と推測される「イシスネフェルト」の石棺が見つかっている。

ダハシュール北遺跡発掘調査プロジェクト

イパイの墓の上部構造

イパイの墓の上部構造

ダハシュール北遺跡は東海大学の情報技術センターと合同で行われた衛星画像の解析を駆使して発見に至った。1995年のサーベイで新王国時代の「イパイ」のトゥーム・チャペル(神殿型平地墓)が発見され、その後の調査で内部の最下層からは「メス」と呼ばれる人物の人型石棺が見つかった。イパイの墓の南からは「パシェドゥ」、西側からは「タ」のトゥーム・チャペルが発見されるなど、新王国時代の墓域が広がっていることが確認された。一方で2005年には「セヌウ」の中王国時代の埋葬が未盗掘で発見され、2007年にもセベクハト、セネトイトエスの中王国時代の未盗掘墓が見つかり、中王国時代にも墓の利用が行われていたことが判明している。

アメンヘテプ3世王墓保存修復プロジェクト

修復後の壁画の一部

修復後の壁画の一部

アメンヘテプ3世王墓の壁画は古代エジプトの美術の中でも最高水準にあり、傑出した文化財であると言える。しかしコウモリが長期間にわたって生息しており、排泄物や微生物によって壁画が汚れており、加えて壁画の崩落や人為的な破壊行為があったことから、深刻なダメージを受けていた。王墓を崩壊の危機から救うため、早稲田大学エジプト学研究所はユネスコ、エジプト考古庁の協力を受け、壁画の保存修復プロジェクトが2001年より開始された。プロジェクトは現在も進行中である。