再びオサマ・ビンラディン

連休中、久々にエジプトに行きました。約3ヶ月ぶりです。それまでは毎月1回行っていたので、私としましては久しぶりです。
1月28日のエジプトにおける大デモを発端に、ムバラク大統領の辞任と、エジプトは大きく変わりました。もちろん私の行ったときには、少なくともカイロや観光地ギザでは、何の変わりも感じませんでした。ただ、あまりにもツーリストが少な過ぎます。ホテルもほとんどがガラガラで、従業員の方が多く感じるほどでした。レストランも博物館も、町行く観光バスも少なく、このままでは、観光立国エジプト危うしです。日本人は、行きも帰りも、飛行機にはひとりも乗っていませんでした。危険度がレベル2なので、団体旅行ができないからだそうです。入国審査官が、「何しに来ましたか」と私に聞くではありませんか。エジプト入国で初めてのことです。おそらく放射能持ち込みを案じてのことでは、と私の息子は言っていました。日本人は人を見てガイガーカウンターで調べられることがある、と飛行機のスチュワーデスが心配していましたが、そういうことはありませんでした。
さて、この度は、私たちのやっている第2の太陽の船プロジェクトの再開を、考古省と話し合うのが主目的でした。それと、大騒動で大変だったと思われる在エジプト日本大使館に、わが隊員がお世話になったお礼と慰労。そして、最近のエジプト情勢を知るということでした。すべてうまくいき、プロジェクトは動き始めました。幸い、旧エジプト考古庁長官が、省に昇格後も大臣として留任したこともあり、スムースに事は進んだのです。日本大使も公使も参事官も、皆さん元気でした。
しかし、この間起きたオサマ・ビンラディンの暗殺についての報道はすごかったです。基本的に、エジプト政府はテロ反対ですし、エジプトの宗教団体は反ビンラディンですから、反米活動としてのデモなどはありませんが、「なぜ米国は、この時期にオサマ・ビンラディンを殺したのか」という問いが大きかったです。「オバマ米大統領の選挙用パフォーマンス」というのが一番大きかったですが、「実際には数ヶ月前に殺されていたのを、英国のロイヤルウェディング後という時機を見て発表した」とか、「実はまだ殺さず拘束している」などの噂が広まり、それについて、ひとつひとつコメンテイターが、あたかもその場にいたような素振りでテレビで語っていました。
その中で一番気になったのは、「なぜ、皆世界中がオサマ・ビンラディンについてそう大騒ぎするのでしょう。彼はとっくに終わっていましたよ。彼は全ての財産を使い果たし、あとは死ぬのを待っていただけでした。そっとしておけば、1、2年のうちに世界史の中から消えていったはずなのに、愚かな米国によって再び歴史に呼び戻してしまったのです。もうアルカイダは資金が枯渇し、活動はできませんからね」というコメントです。こんな的確なコメントを、日本のアラブ通はしません。
それにしましても、パキスタンがオサマ・ビンラディンをかくまっていたかどうかは別にして、3機ものヘリコプターがインド洋上から自国の空を通って暗殺をして死体を持ち帰るという作戦を知らなかったとは、不思議というか、セキュリティはどうなっているのか疑問を感じます。どんな人物でも殺していいわけはありませんし、パキスタンの主権をないがしろにしていいはずはないわけです。エジプト人の多くは、死体を海に捨てた-水葬にしたと米国は言っていますが-ことに怒りをもっているようです。どんな犯罪者でも、死体は土に返す。そして、あの世に行く前の裁判で有罪ならば地獄に堕ちるという、死の権利は守るべきだというのです。また他のジャーナリストは、「9.11を起こしたのがオサマ・ビンラディンだという証明はされていないのに暗殺するのは、米国として恥ずべきで、中国や北朝鮮に人権を守れと言っているのを撤回すべきだ」と言っています。
どれをとっても、その言葉は立場立場で正当性はあるのでしょうが、飛行機に乗ったり、外国に行ったり、送金したりするのに、とても不便になりました。それと、日本中が放射能に汚染されているという風評は困ったもので、私たちの機械がエジプトで輸入通関できなくて困っています。

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