スポーツ・タレント候補について

今回の参議院議員選出選挙に、たくさんの現役または元スポーツ選手やタレントの候補予定者が出ると、スポーツ紙だけでなく新聞、雑誌、テレビなどで報じられています。最近の産経新聞の調査では、①安易なタレント候補者の擁立はやめるべきだと思うかというアンケートに、96%の人がやめるべきだと答え、②タレント候補に投票するかという質問に、98%の人がNOと答えている、と伝えています。もし、これが実際に投票に反映されれば問題はないのですが、おそらく、選挙後「えーっ!」という結果が出ると思うのです。
ともかく、国民はミーハーだとしか言えないくらい、過去の有名人、タレント、スポーツ選手が国会議員となってきています。職業選択の自由、投票の自由という、自由という点だけを言うのなら問題ないと思われるのですが、少し違うと思います。有名人というのは、それはそれなりの才能を持ち、結果を出してきたからこそ有名になったわけです。しかし、マスメディアはその人を、その人が結果を出した面でのみ取り上げ、国民に紹介し、国民を勇気づけたのであって、他の面-ここでは政治力-に関して取り上げたり、ほめたりしたわけではないのです。野球選手として成績を上げたのであれば、野球について認めたのであり、その有名度を利用して他の仕事につくのはちょっとおかしいのです。ところが、大衆は騙されてしまうのです。
確かに、立候補者のポスターを見ても、立候補の趣旨を読んでも、立会演説を聞いても、わからない人が多くいます。となると、頼まれたり知り合いだったりする以外は、テレビによく出ている人につい投票してしまいます。しかし有名人と無名人では、ハンディがありすぎます。必要資金の額で言えば、億のつくくらい違うのではないでしょうか。この手の論争で、「有名無名に関係なく、政策を持ち、政治を勉強しているなら、いいではないか」という論がありますが、空論です。
私も14、5年前に誘われたことがありますが、お断りしました。その理由は、(1)エジプト考古学では一流になれる自信があるが、政治ではせいぜい評論どまりである、(2)政治をやる人はたくさんいると思うが、エジプト考古学に私財をなげうってやる人は私しかいない、(3)私がテレビに出たりして名を売っているのは、エジプト考古学のためであって、それで得た知名度を使って政治に出るのは、倫理観がなさすぎる、というものでした。今でも変わりません。
その当時テレビに出ていて有名だった人の中で議員になられた方は、それぞれそれなりに活躍されていますから、きっと素質があり、よく勉強されたのだと思いますが、必ずしも初志を遂げずに消えた方もいらっしゃいます。どちらにしましても、公正さという点では間違っています。100m走の駆け足で言えば、有名人は50m先から走り始めるような感じです。すなわち、民主主義の3大要素のひとつ「自由」に次ぐ「平等」に反するわけです。
そして「民主」について言うならば、私たちは「民主」に量と質があることを忘れているのではないでしょうか。今、みな「量」に重きを置いています。「量」とは、得票数のことです。しかし、そこには必ず「質」が伴います。すなわち、その人物をきちんと知っているか、今回の参議院議員選出の意味を知っているか、その人物は政治をきちんと理解しているか、ということです。
よく立候補の趣旨に、いろいろ自分の思いや政策を主張している人がいますが、きちんとした選挙人は、「そんなこと言ったって、採決のとき党の縛りをかけられたら、自分の意志なんて関係ないでしょう」ということを知っています。要は、衆議院でも参議院でも、議員という職業は、所属する党の利益を守るべき、法律成立の投票人である立法人なんです。
もし国民が前述したこのアンケートのように思っていて、投票に反映したら、私はまだ日本は捨てたものではないと思うのです。「自分のスポーツでの体験を政治に生かします」なんて、100%あり得ないでしょう。と言うのは、議員というのは、1票にしかすぎないのですから。

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