「人生は良いことも悪いこともあるから、悪いときめげることなく生きていきなさい」
  これが、私の母の最後の言葉でした。そのときの悪いこととは、助教授から教授への昇任が3年続けて否認されたことをさしています。結局1996年に教授になれるのですが、そのときには父母ともに亡くなっていました。私は、父母がエジプトに来てくれたときの写真を前に、ひと晩泣いたものでした。53歳にもなってなんて弱い男だと、自分自身で思いましたが、何かとても申し訳ないと思ったからだったと思います。
   思えば、エジプト留学から帰国したときが36歳で、早稲田大学の非常勤講師となり、専任になったのが人間科学部ができた1987年で44歳のとき。そのとき助教授になりました。そして9年経って、教授になったのが1996年でした。10年後には早稲田大学を退職して、完全インターネット講義のサイバー大学を新設すべく活動して、
2007年4月からその学長になったわけです。
   この間は、研究を続けるために早稲田大学理工学部総合研究所の客員教授にはなっていましたが、名誉教授になれるとは夢にも思っていませんでした。この間、1999年に早稲田大学から工学博士号を授与されましたが、これは自分の努力で取得したわけですから、あなた任せのお上による名誉教授の称号をいただけたのは、私にとっては天と地がひっくり返る思いです。
  名誉教授になったからといって賞金がいただけるわけではなく、給料が出るわけではありません。1枚の辞令をいただき、自室に飾っておくだけですが、これこそ正しく価値があるというものなのです。無価値の価値というか、人生の誇りというか、お金にも代えることができない価値というものです。大学を定年で退職した教員が、誰でもなれるものではなく、名誉教授はなりたくてもなれるものでもありません。規定は色々ありますが、とても価値の高いものですし、生涯にわたるタイトルですから、とてもありがたいものなのです。
   これを励みに、生涯現役で、エジプト考古学のために身も心も捧げようと再決心しました。そしてその晩、父母の写真に向かって笑って報告できました。「お母さん、ボクをこの世に産んでくれてありがとうございました」と心の中で何回も言いました。67歳のセンチメンタリズムです。
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アケトスタッフ

吉村作治のエジプトピアを運営する株式会社アケトのスタッフです。