シェプセスカフのマスタバ墳

シェプセスカフ王のマスタバ墳。古代名は「清め られたるピラミッド」/サッカラ

メンカウラー王の後に即位した、古王国時代第4王朝最後の王シェプセスカフは、自らの墓をサッカラに建造した。「マスタバ・ファラウン(ファラオのマスタバの意)」と呼ばれるその墓は、ピラミッドではなく、底辺部100m×72mの2段になった巨大なマスタバ墳である。最下段は赤色花崗岩で作られているが、本来は良質石灰岩で覆われていた。

マスタバ墳とは、ピラミッドより単純な構造で、基本的に深い竪坑を上部構造物で覆ったもの。先王朝時代の王たちはマスタバ墳に埋葬されていたが、第4王朝には、ピラミッドを建造するのが主流であった。

その中で、なぜシェプセスカフ王が伝統的なマスタバ墳の形態に逆戻りしたのかは、未だ謎である。


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