カテゴリー別アーカイブ: 古代エジプトの遺跡


シナイ

シナイ山の風景

シナイ山の風景

モーゼが十戒を授かったと言われるシナイ山は、別名モーサ山とも呼ばれている。標高2285m。

古王国時代からトルコ石や銅の産出地として知られ、遠征隊がしばしば出向いている。

また、聖なる山として古くから多くの巡礼者が訪れ、頂上にはユダヤ教の礼拝堂とイスラーム教のモスクが建つ。麓のセント・カテリーナ修道院は、高さ11mもの城壁に囲まれ、約1600年にもおよぶ歴史をもつ。

シナイ山頂へは、修道院の裏手の山道から早朝出発するか、夕方登頂して山頂で夜を明かし、御来光を拝むのもよい。3750段の階段が設けられ、登頂には約3時間はかかる。朝焼けの中、幾重にも折り重なるシナイの山並みは、まさに荘厳の一語に尽きるだろう。

コム・オンボ

コム・オンボ神殿第1列柱室

コム・オンボ神殿第1列柱室

ルクソールの南約167km、ナイルを見下ろす小高い丘の上にあるコム・オンボ神殿は、第18王朝トトメス3世により創建された神殿跡地に、プトレマイオス朝時代になって造営されたもの。

エドフのホルス神殿と非常によく似た構造が見られるが、コム・オンボ神殿は、入り口や至聖所が2つずつある二重構造の神殿だという点でまったく異なる。これは、コム・オンボ神殿が、ワニの神セベク神を中心としたトリアド(3神群)と、ハヤブサの神ハロエリス神を中心としたトリアドの、計2つのトリアドを祀っていることに理由がある。ただし、中庭や列柱室は2つのトリアドの神々が共有していた。

ハトホル女神の小礼拝堂内部には、神殿内で飼育され死後ミイラにされたワニが納められた。

エドフ

ホルス神殿第1塔門/エドフ

ホルス神殿第1塔門/エドフ

ルクソールの南約108kmの西岸にあるエドフには、プトレマイオス朝時代に建てられたホルス神殿がある。近年の調査で初期王朝時代の遺構も見つかり、ホルス神殿の起源がかなり古い頃まで遡ることがわかった。

現存するホルス神殿は、プトレマイオス朝期の神殿の特徴である調和の取れた構造となっているが、完成までには130年ほどの歳月が要された。

幅137m、高さ36mの第1塔門は、カルナク・アメン大神殿の第1塔門に次ぐエジプト第2位の大きさをもち、また列柱室の入り口の両脇には高さ約2mのハヤブサ姿のホルス神像が立ち、上・下エジプト統一の象徴としての二重冠を戴いている。

エスナ

クヌム神殿/エスナ

クヌム神殿/エスナ

ルクソールの南約60kmにあるエスナは、聖魚ラトスの信仰を集めた地である。

現在の町の中心部、9mも低い地面の高さに、プトレマイオス朝時代からローマ時代にかけて造られたクヌム神神殿が建っている。現在残る北側の列柱室には、クヌム神の大祭の碑文が記された高さ13.3mの柱24本が並ぶが、同じ形の柱頭を持つ柱は2本ずつしかない。天井には、天体図や祭儀の様子を描いたレリーフが施されている。

クヌム神は創造神の1人で、ろくろをまわし、粘土から人間をつくり出したと考えられていた。

神殿周囲の調査から、神殿の起源は新王国時代第18王朝に求められることがわかっている。

メムノンの巨像

メムノンの巨像/ルクソール西岸

メムノンの巨像

現在は突然として巨像だけが残されているが、もともとは新王国時代第18王朝のファラオ、アメンヘテプ3世が、自らの葬祭殿の入り口前に立てたものである。台座の高さ2.3m、座像の高さ15.6m。珪岩製で、創建当時は王冠も載せており、全体の高さは22mにもおよんだ。

しかし、第19王朝のメルエンプタハ王が自分の葬祭殿を造るために石材を運び出してしまったため、偉容を誇った葬祭殿は今は跡形もない。

紀元前27年の大地震の際に、向かって右側の像にひびが入り、夜明けに音を発するようになったが、199年の修復後は止んでいる。

ラムセス3世葬祭殿

ラムセス3世葬祭殿/ルクソール西岸

ラムセス3世葬祭殿の塔門

メディネト・ハブ(アラビア語で「ハブ族の町」の意)に建てられた、新王国時代第20王朝ラムセス3世の葬祭殿。強固で巨大な周壁に囲まれており、内部には神殿に仕える人々の住居も造られていた。

ラムセウムを模して造られたもので、構造だけでなく戦場の場面を描いたレリーフの施し方など、装飾という面でもラムセウムの影響が感じられる。

第1塔門裏面には、有名な野牛狩りのレリーフがある。

デイル・アル=メディーナ

デイル・アル=メディーナ

デイル・アル=メディーナ

デイル・アル=メディーナに残る集合住宅址は、王家の谷や王妃の谷の墓造りに関わっていた職人たちの住まいであった。山越えをすれば、約30分ほどで王家の谷に着くことができる。約70軒ほどの家が、周壁の中にぴったりとくっつくようにして建てられている。

職人やその家族は、役人の監視は受けていた一方、新王国時代第20王朝ラムセス3世の頃、ストライキを頻繁に行ったことなどがわかっている。

彼らの墓は、集合住宅址の西側の斜面に造営された。なおデイル・アル=メディーナは、アラビア語で「町の修道院」の意。

ラムセウム

ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)

ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)

ラムセス2世の葬祭殿ラムセウムは、現在では崩壊が激しいものの、地面に転がる彫像の頭部の大きさからも知れるように、建築王の名にふさわしい壮大な葬祭殿であった。

生前の王の偉業を誇るかのように、負け戦に近かったカデシュの戦いを、エジプト軍の大勝利として刻ませている。

また、ラムセウムに残る日乾レンガの倉庫群は、収穫された農作物を再分配するために蓄えておく重要な役割をもったもので、約3300年前の、現存する最古の倉庫跡である。

日乾レンガでヴォールト天井を造るのは大変難しく、当時の建築技術の高さを伺わせるものである。

ヴォールト天井をもつラムセウムの倉庫群

ヴォールト天井をもつラムセウムの倉庫群

王妃の谷

王妃の谷/ルクソール西岸

王妃の谷/ルクソール西岸

ワディ・アル=マリカートの名で呼ばれる王妃の谷は、王家の谷の南約1.5kmにある。

第2中間期第17王朝から新王国時代第20王朝にかけての、王族や高官の墓が造られているが、第19、20王朝の王妃たちの墓も造営されたことから、この名が付けられた。ラムセス2世の妃、ネフェルタリの墓もこの谷にある。王妃の谷では、全部で約80の墓や竪坑が発見されている。

貴族の墓

貴族の墓の上に建てられたクルナ村(2007年)

貴族の墓の上に建てられたクルナ村(2007年)

ルクソール西岸には、王家の墓だけでなく、大臣や市長、役職を持つ官僚などの貴族、アメン大司祭などの高級神官、職人の長たちの墓も営まれた。これらは、「貴族の墓」と総称されている。

貴族の墓には、王家の墓と異なり、現世での彼らの暮らしぶりが事細かに描写された。農耕作業、工業、刈りの様子、宴会の様子、来世の楽園の様子など、題材は多岐にわたり、また、色彩も鮮やかで生き生きと表現されている。

ルクソール西岸からは、現在までにおよそ800基の貴族の墓が発見されている。