カテゴリー別アーカイブ: 古代エジプトの遺跡


ポンペイの柱

ポンペイの柱/アレキサンドリア

ポンペイの柱/アレキサンドリア

アレキサンドリア市の南西の丘の上に立つポンペイの柱は、第1回三頭政治を行ったポンペイウスが、この地に埋葬されたとする迷信にもとづいて名付けられた。紀元292年の帝の記名から、ディオクレティアヌス帝の柱とも呼ばれる。

本来はプトレマイオス朝時代の図書館の柱として使われていたもので、高さ30m、柱身22m、直径は上部で2m30cm、基部で2m70cmにも及ぶ。石材はアスワン産の赤色花崗岩である。

丘の斜面や柱の周囲には、ラムセス2世やプサメティコス1世のカルトゥーシュが刻まれた彫像の一部などが点在している。

コム・アル=ディッカ遺跡

コム・アル=ディッカ遺跡の円形劇場/アレキサンドリア

コム・アル=ディッカ遺跡の円形劇場

ギリシア・ローマ時代のモザイクや、共同浴場跡などが発見されたコム・アル=ディッカ遺跡は、アレキサンドリアの鉄道駅とグレコ・ローマン博物館の中間に位置する。

1960年にはポーランド隊により、同時代(2~6世紀)の円形劇場も発見された。建設当初の規模は直径42mだったが、幾度もの改築の結果、現在の33m50cmの規模になったことがわかっている。座席は13段が築かれ、マーブル状の地模様を呈する大理石の柱も美しい。エジプトに残存する唯一のギリシア・ローマ時代の円形劇場である。

グレコ・ローマン博物館

グレコ・ローマン博物館/アレキサンドリア

グレコ・ローマン博物館

アレキサンドリア市の中心部に位置するグレコ・ローマン博物館は、1895年に開館し、アレキサンドリアおよび周辺地域、主にデルタ地域で発見された遺物約4000点を収蔵する。

展示は22室に分かれるが、そのほとんどが、末期王朝時代~ローマ時代にかけての遺物である。特に、古代エジプト史末期に登場するアレキサンダー大王、クレオパトラ7世、ユリウス・カエサル、アントニウス、オクタビアヌスなどの大理石像は、一見の価値がある。

その他にも、美しいガラス器、土器、装身具やコインなどが展示されている。

アレキサンドリア

アレクサンドリア図書館

アレクサンドリア図書館

人口約450万人のアレキサンドリアは、東方遠征に向かう途中のアレキサンダー大王が命名した、地中海沿岸のエジプト第2の都市。古代世界の政治経済や文化の中心地として、プトレマイオス朝以来急速に発達した。現在もエジプト有数の港湾商業都市、観光都市として賑わう明るい雰囲気の町である。

市内各地にプトレマイオス朝時代以降の遺跡が残るが、それと同時に、世界の七不思議の一つ、ファロス島の大灯台や、大王の墓所のありかなど、ミステリー的話題にも事欠かない。

見学に疲れたら、海水浴や新鮮な海の幸を楽しめるのも、この町の魅力の一つだ。

アブ・シンベル

アブ・シンベル神殿

アブ・シンベル神殿

1813年、スイス人ブルクハルトによって発見された、アスワンの南約284kmに位置するエジプト最南端の遺跡。その後、イタリア人ベルツォーニらによって、神殿の規模が次々に明らかにされた。

新王国時代第19王朝のファラオ、ラムセス2世が建造したこの大遺跡は、大小2つの岩窟神殿からなる。しかし、古代に名を馳せた建築王も、現代のアスワン・ハイダム建設には勝てなかった。

水没の危機にさらされたアブ・シンベル遺跡は、ユネスコの救済キャンペーンにより、1964年から1988年の間に1036個ものブロックに解体され、無事現在の場所に移された。アブ・シンベル神殿は、世界各国の協力の下、人類の共通遺産を守ろうという運動のシンボル的存在でもある。

フィラエ島

フィラエ島イシス神殿/アスワン

フィラエ島イシス神殿/アスワン

エジプトの遺跡は、アスワン・ダムやアスワン・ハイダムの建設により、多かれ少なかれ被害を受けたといっても過言ではない。

第1急湍南端のフィラエ島は、かつては「ナイルの真珠」と称されるほど美しい景観の島だったが、アスワン・ダム建設後、1年のうち夏の2ヶ月を除く10ヶ月の間、水没することになってしまった。ハイダム建設後、被害はさらに深刻となり、遂にユネスコが、島内のイシス神殿救出作戦に乗り出した。

現在は、すぐ隣のアギルキア島に、位置関係などはそのままに移築されている。主な見どころには、第30王朝ネクタネボ1世の名が刻まれているキオスクと、イシス神殿第1塔門などがある。

エレファンティネ島

クヌム神殿

クヌム神殿

全長約1.5km、幅0.5kmの細長い形をしたエレファンティネ島は、上エジプト第1ノモスの都が置かれていた。

ギリシア語で象を意味するエレファンティネという島の名は、この島を指す古代エジプト語がアブウ(象)であったことにちなむとか、アフリカからの象牙の集散地であったことからなど、諸説ある。

また損壊がひどいクヌム神殿は、末期王朝時代第30王朝ネクタネボ2世によって建立されたものだが、古くは、古王国時代にすでに建造、祀られていた。

さらに島の南東には、ナイルの氾濫とその規模を知るナイロメーターが設置された。90段の階段に付けられた目盛りを見て、洪水の記録など、水位の観測が行われた。ローマ時代の洪水の記録も残っている。

ナイロメーター

ナイロメーター

切りかけのオベリスク

切りかけのオベリスク/アスワン

切りかけのオベリスク/アスワン

良質の赤色花崗岩の産出地として名高かったアスワンに、古代の石切り場の情景を思い起こさせてくれる遺跡がある。アスワンの市街地から南へ1km、ここには、岩に亀裂が入ってしまったために切り出しを止めたと考えられるオベリスクが横たわっている。

オベリスクとは、古代エジプトの太陽神信仰の象徴的なモニュメント。横たわっているのは、長さ41.75m、重さ1152tと推定される、現存中、最も大きなオベリスクである。

石には規則的にノミ痕や、クサビ穴の跡が残り、どのように石が切り出されていたのかを知ることができる。

アスワン

アスワンの風物詩ファルーカ

アスワンの風物詩ファルーカ

首都カイロから約860km南下したアスワンは、エジプト南部の中心である。古代から良質な赤色花崗岩の産地として知られ、産出した石材は、遠くギザのピラミッド建造や各地の神殿建築にも用いられている。

アスワンの町は、もともとはナイル川に浮かぶエレファンティネ島の市場として発展したもので、エレファンティネ島こそが、初期王朝時代から上エジプト最南端の町として重要な役割を担っていた。古王国時代には、クヌム神殿も築かれている。

アスワンは1年を通して過ごしやすい気候のため、観光地として近代的なホテルも多く、『ナイル殺人事件』で知られるオールド・カタラクトホテルも、この町のナイル川沿いに建っている。

シーワ・オアシス

シーワ・オアシスの町の風景

シーワ・オアシスの町の風景

エジプトには5つのオアシスがあるが、首都カイロから400kmほど西に離れた、エジプトでは隣国リビアに最も近いオアシスである。

末期王朝時代第26王朝のころに建造された、アレキサンダー大王が息子の戴冠式を行ったとされる、アメン神に奉げられたアグールミー神殿がある。

また、末期王朝時代第30王朝のネクタネボ2世が建立したウンム・ウバイダ神殿は、現在はほぼ倒壊してしまっている。

シーワ・オアシスでは、その他、中世の城塞跡や寺院跡と自然が一体となった奇観を楽しむことができる。