カテゴリー別アーカイブ: コラム


オサマ・ビンラディンの死

9.11事件の首謀者で、国際テロのシンボルであるオサマ・ビンラディンが、5月1日に米国特殊部隊によって、パキスタンにおいて潜伏中のところを殺害されたというニュースを聞きました。これによって、米国及びその同盟国は、国際テロの一件落着という情報を流しています。それに対して、オサマ・ビンラディン周辺のテロリストたちは、このことで今以上のテロ活動を遂行すると勢い込んでいます。
両者ともその心情を率直に述べているのだと思いますが、私は、このことは何の決着も示していないと思うのです。カリスマがいなくなったのでテロ活動が止む、または少なくなる、と考えるのは浅はかと思います。これによって、中東、アフリカのイスラム過激派は、より一層のテロ活動に向かうと思うのです。カリスマは、生きているより死んだ方が担がれ方が過激になるのです。生きていれば、そのカリスマ性で抑止することも可能ですが、死んでしまったら止める者がいなくなり、統率者がいないことをいいことに、小グループごとに、より過激なことを勝手にやると思います。
死体を水葬にしたと言明しているのも、死体奪還のための人質作戦阻止を狙った情報かデマかと思います。おそらく軍艦の冷凍室で保管しているのではないかと思うのですが、イスラム過激派はそんなことは重要視せず、世界のいたるところで大小交えたテロ活動をするに違いありません。特に、チュニジアのジャスミン革命以来のエジプトをはじめとするアラブ諸国の混乱に、再度油を注いだことになるでしょう。
米国が、どうしてこの時期にこんなリスク度の高いことをしたのか首をかしげます。オサマ・ビンラディンが生きていてまずいと、米国の9.11の被害者が思うのは当然ですが、平和主義をスローガンにしているオバマ大統領自らが、なぜこんな決断をしたのかわかりません。
私の乗る飛行機がハイジャックされないことを祈るしかありません。

生前に骨壺を作るのがトレンドになりつつあります

日本の葬送の方法は火葬が一般的ですので、骨壺は不可欠です。骨壺は、通常、死に関わるものとして見た目が地味なものが大半です。もちろん骨壺も、地域によって大きさや形が違うのだそうですが、素焼きに近い感じのものが多いですし、それを遺族が用意することはまずなく、葬儀屋さんが用意する形でした。しかしここ数年、お墓も生前自分の好みに合わせて造るデザイン墓、生前墓が盛んになり、そうしたお墓を奨励している霊園もぼつぼつ出てきています。それと連動して、骨壺も生前に作っておいて、自分の寝室や仏壇の下の納戸にしまっておく人がぼつぼつ出てきているそうです。伊万里焼や有田焼の陶器屋さんとか窯元にも、月何十個と注文がきているそうです。
古代エジプトから、墓はこの世からあの世に行く一里塚と考えられ、重要なポイントでした。すなわち、あの世へ行くための「家」だったわけです。ですから、そこに自分の死体をミイラにして納め、1年に1回の墓参りの日に、あの世から魂となった自分が戻ると考えたわけです。墓が「家」であるなら、ミイラを入れておく棺は「部屋」です。お棺の材質は木が多かったのですが、陶製のもの、金属製のものと、いろいろありました。
現在の日本でそのことを応用してみますと、お墓を自分でデザインしたり、お骨を入れる壺を自分の好みで作るというのは、当然のことだと言えます。私は、全国優良石材店の会「全優石」のイメージキャラクターをしていますので、全国のお墓造りの石屋さんに講演をしたり、お話をしたりする機会が多くありますが、皆さんもこのことは真剣に考えているようです。
そこで私は、伊万里焼で、その生前骨壺(私は生前壺と名付けています)の制作を始めました。デザインの基本はピラミッドで、そこから魂が出てあの世に行くというイメージを絵にしています。人はいつ死ぬかわかりません。しかし、自分の寝室に、死んだら入る部屋としての、自分の魂の出所、戻り所としての骨壺を置き、それをじっと見ていると心が澄むと信じて作陶しています。色も形もユニークなもの、自分らしさが出るとすてきだと思っています。

今回のエジプトの政権混乱について

2月11日ムバラク大統領の辞任によって収束したと見られるエジプトの大規模デモは、今までのエジプトでは考えられないことです。1月初旬にエジプトに行っていた私は、全くその気配を感じることがなかったのです。
もちろん、10年以上前からエジプト国民の間では、ムバラク政権の非難はうず巻いていました。いわゆる強権的圧政ということです。それに加えて、賃金が上がらないのに物価はどんどん上がる。政府の高官だけでなく、役人の間に賄賂が横行している。コネ社会で、政府高官と知り合いでないと出世どころか就職もできない。選挙をやっても、仕組まれた人しか当選しない。次男のガマール氏を後継者にしようとしている。等々、不満が人々の間で噴き出していて、散発的にはデモがあったのですが、治安警察に抑えつけられ、首謀者は投獄され幕切れでした。
しかし、エジプト人は立ち上がらない、と言うか、立ち上がれないというのが、巷の感想でした。ナセル革命を夢見る人は少なくなかったのですが、少なくとも今の生活を壊したくない、という保守的な人が大多数だったわけです。しかし、チュニジアの市民のデモによる大統領の追放を見た人々がエジプトでもやれると感じ、フェイスブックとかツイッターで仕掛けたところ、大成功というわけです。それはそれで間違えてはいないのでしょうし、時の流れは独裁から民主へというもので、遅かれ早かれイスラム圏の北アフリカや中近東ではそうなっていくのでしょう。しかし、時間はまだまだかかると思います。それが現実となるためには、この地域の全ての人々の敵であるイスラエルが、もっともっとひどいことをしないと進まないでしょう。
しかし、今回エジプトでどうしてこうも急展開したのでしょう。若者や貧しい民衆の力が結集した結果といえばそれまでですが、それは10年も前から社会の底にはあったのです。それを解くカギは、軍にあると思います。「自由を得られた」、「民主化された」、「独裁は終わった」、と民衆は喜び乱舞したと伝えられていますが、よく見れば、軍によるソフトクーデターです。それを悪いと言っているのではありませんが、今後、軍は国政に関わらない、1日も早く文民の民主的政治が行われることを願っていると軍の評議会は言っていますが、こういう声明の裏を読めば、きちんと民衆による政治体制ができなければ軍が行うと言っているということです。もちろん、軍がやっている限り、民衆によるはね上がりは行われないでしょう。今回の大規模なデモが成功したのも、軍は不介入と当初から言明していたという背景なしには、このように早く成功しなかったと考えられます。
第一、国を守る軍が国内の争乱に介入しないと当初から鮮明に打ち出すなんて、おかしいです。もともと、ムバラク政権の独裁的強権政治の背景は軍だったわけです。私も45年にわたってエジプトで発掘調査を行っていますが、何度も、いや何十回も軍の力でねじ伏せられた経験があります。その理由はいつも、「国益を守るため」でした。それはそれで、エジプトで調査をさせていただいているのですから従うべきですし、従ってきました。「国益を守る」という至上命令を実行するのが軍だとすれば、今回の本当の主役は軍だったのではないでしょうか。軍が、若者や一部先進的民衆を駆り立てて起こしたものではないかと考えます。もちろん、それが悪いと即座に言い切ることはできませんが。
ともかく、ムバラク大統領が軍によって切られた、見放されたということでしょう。その裏に米国があるとさえ言われています。それほど、ムバラク一族とその周辺の人たちが腐っていたということかもしれません。隠し資産が何兆円とも言われ、スイス銀行が口座を凍結したとも伝えられています。独裁制の最も卑しい形だった情報が、あることないことを交えてこれから出てくるでしょう。独裁者の末路で、病魔に犯されているムバラク大統領は近々に死を迎えるかもしれません。
軍が裏の主役であれば、対米、対イスラエル、対ヨーロッパ、対日の政策は、変わらないでしょう。ムスリム同胞団が積極的に関わらなかったのも不気味です。民衆はすっかり英雄気取りで、何でも通ると思っていますから、民衆の要求はよりエスカレートしていくでしょう。どこかで軍はそれを抑えないと、国が潰れてしまうでしょう。ちょっとやそっとの外国の援助では、膨れ上がった民衆の欲求は満たされないでしょうから、次なる混乱が起こらないとは言えません。
文化面でのエジプトとの交流を主たる仕事としている私にとっては、ここ数年が辛いものになるでしょう。現在、私のやっている4つのプロジェクトはストップしています。

脳のはなし

去る2月4日、私が親しくしていただいている、ワイズマートというスーパーの名誉会長の吉野喜信氏の誕生会が、浦安ディズニーリゾート内のアンバサダーホテルで開催されました。私も駆けつけたのですが、その会の前に、東京慈恵会医科大学の石橋敏寛先生(医学博士)の講演「脳卒中の予防について」が約1時間ありました。脳卒中、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血、どれがどれだかわからなかった私ですが、脳に関する病気の恐さを改めて知りました。
ともかく、60歳を越すと脳の病気は急に増加するのだとのこと。私はその候補者の1人です。ガンは60歳を越すと2人に1人かかると聞いていましたが、脳の病気も60歳を越えると2人に1人かかるとのことですから、60歳を越えると、理論上は2人に2人は何らかの恐い病気にかかるということになります。
パワーポイントを使っての詳細なお話を聞いていて、いつの間にか自分がその病気にかかったような錯覚に陥ってしまいました。「脳が命」と小さいころから言われていましたが、そのときの意味合いは、記憶力がいいとか、応用力があるといった、いわゆる頭のいい子になるため勉強しなさいということでした。しかし今、70歳に近く(今年の2月1日で68歳です)なりますと、まさしく、脳に異常をきたすと命とりになるという意味です。血液検査では、命とりになるような病気の可能性は低いと出ますが、それは数値の話で、実際には数値がよくてもあっという間に死を迎えるのだそうです。
ここ数年、私のまわりで死んでゆく人が増えました。「次は私か」なんて冗談を言っている友人がいますが、それが本当になったら大変です。しかし、これだけは自分の力ではどうにも仕方ないわけですから、ただただ祈るしかないというわけです。
最近、病気とか健康に関するテレビ番組が増え、かつ、ついつい見てしまう私です。皆さんも気をつけてください。脳の心配な方は脳ドックに入った方がいいようです。

今回の内閣改造をどう見たらよいのでしょうか

1月14日に菅首相は内閣改造を行いました。マスメディアや評論家の間では、「小規模だ」とか、「参院で問責決議案が可決された大臣の出席する会議に出ないという野党の要求に屈した」とか、「首相の言うことを聞かない閣僚や、評判の悪い人を排除しただけだ」とか、「以前から民主党批判の先鋒である与謝野氏を内閣に入れるのはおかしい」、といった非難が起きています。しかし、待てよ、そんな見方をメディアで見識があると言われている人に、お決まりの評論でガス抜きをさせているのではないか、という疑いを私は持ったのです。民主主義ですから、誰でも何でも言うのは自由ですが、とかく人間は、言うだけ言うと、特に正義風なことや怒ることなど、すっきりしてそのまま終わってしまうのです。権力者は、その間首をすくめていれば思うようになってしまう現代民主主義の欠点であることを忘れています。
私が考えるところ、今回の内閣改造の目的は、民主党の掲げた前回選挙のとき打ち出したマニフェストを大幅に改造することだと思います。いや、改造というより破棄に近い形にするのではないでしょうか。その柱は増税です。消費税をはじめ、法人税以外は全て増税となるでしょう。それと、バラマキと思われる子ども手当て、農家の個別補償などもなくなるでしょう。それらの政策は、全て小沢氏主導によって作られたから、変えるということより、脱官僚ができず、政治家主導は形だけになり、官僚国家に戻ったということでしょう。そのシンボルが与謝野氏の大臣就任ですし、一旦身を引いたと思っていた藤井氏の復帰でしょう。実際、民主党の国家運営はギクシャクしています。長らく野党暮らしで政権与党にはじめてなったので、慣れないからだ、と同情する向きもありますが、国家運営を、慣らし運転とか仮免許運転が許されてはいけないと思います。
今日本は、国内よりも国際的に崖っぷちに立っています。雇用の問題が大きく言われていますが、世界を見ますと、日本よりひどい状態の国は、多いというより大半がその問題を抱え苦しんでいます。もちろん、解決の方向は探るべきだと思いますが、難しいでしょう。社会の上層にいる人は、口では「若者に雇用を」とか、「リストラされた人に再就職を」と唱えていますが、世の中選り好みしなければ、雇用の口はまだまだあります。求人がないのではなく、求職者の望む働き口がない、という甘えの構造もきちんと見ておくべきでしょう。
その他、年金問題、科学技術を進める研究費の問題、少子化における高等教育の問題、福祉介護の問題、子ども手当てか保育所増設か、といった少子化を抑える政策実行の問題など、様々なことを抱えての予算編成が山場でしょう。
このままでいけば、たとえ強行採決を衆議院で通しても、参議院でさんざん各委員会での出席拒否の上、強行採決しても否決され、衆議院で差し戻され、3分の2で強行突破しようとしたとき小沢氏はどう出るか。小沢氏を民主党から追い出すような今の動きをしている民主党主流派は、その時リベンジされるのでしょう。あえなく予算案は通らず、菅内閣は総辞職し、選挙管理内閣を作るため暫定的な首相となり、解散・総選挙となると考えられます。しかし予断は許されません。
なのにどうして菅首相一派は、ああまでして小沢氏を潰そうとしているのか。国民は、小沢氏の睦山会の説明よりそっちの方が聞きたいのではないでしょうか。菅氏が小沢氏を感情的に嫌っているとか、野党に対してのポーズだとか、クリーンな政治を目指しているとか、色々言われていますが、私は、増税か税収を上げる経済発展路線かの政策をめぐる考え方の違いからきているのではないかと思っています。ですから、見た目は、池の鯉の餌の取りっこ争いに見えますが、きっと、菅氏か小沢氏のどちらが勝つかは、国家としては大切なことだと思うのです。どちらが勝つかは、時の運も含めてわからないと思うのです。
ただ、これだけは言えます。外から見ていると大金持ちで、預貯金がたくさんあると思っていた日本という家計は、借金だらけで救い難く、多少の経費節約ではだめで、10年も経たずに破産することが民主党にやっとわかったということなのでしょう。あれだけ金はあると言っていた民主党でしたから、一度やってもらってだめならまた変えればいいと思った国民の考えが、やはり一番現実的だということなのではないでしょうか。

呼称

道を歩いていたり、駅などで立っていると、私のことを「おい、ヨシムラがいるぞ」とか、「ヨシムラが歩いている」、「あれって、ヨシムラサクジじゃない」、「サクジがいるいる」と呼び捨てにする人がいます。人は何を言ってもいいのですが、少しひどいのではないかと思うのです。何の関わりのない人に、呼び捨てにされる謂われはないと思うわけです。「いや、あなたは固有名詞化されているのです」とか、「歴史上の人物になっているのです」とか、「有名人は仕方ないでしょう」と言う知人がいますが、それはそれとして、生身の人間として抵抗があります。
また、バーなどで「あなた何ていうお名前」と聞かれ、「吉村作治です」と答えた後、「吉村さん」、「吉村さん」、と連発して「さん」付けで呼ばれることに、違和感を持ちます。と言うのは、名前を言った後に、「早稲田大学の教授です」と職業を言っていますから、少なくとも「先生」と言うべきでしょう。別に「先生」と呼んでもらわないと「軽蔑されている」と感じているのではなく、「大学教授」は学生に教えているわけだから、「先生」なのです。世の中、「先生」がインフレを起こしていますが、「先生は職業的蔑称だ」とジョークで言っています。「人を教えている人」すなわち「先生」なんです。もっとも、中国語では、「先生」は「さん」の意味ですが。「先生」は、ちっともえらくないんです。「社長」とか「部長」の方がずっと偉いんですが、世の中では違う風に考えているようです。
私は、弟子にも、中学校でも高校でも教職を持ったら「先生」と呼んでいます。弟子として私の下にいるときは、「△△君」です。男も女も「君」です。いったん社会人になれば「××さん」、教員になれば「先生」です。ただし、公的場所で相対するときや書面での呼び方は、相変わらず「○○君」です。その使い方を間違えると、誰もが「先生」である中学校の教員室のような場では、混乱してしまいます。弟子に囲まれているとき、「先生」は私だけなんです。
私は、子供にも、1人でも他人がいるときは「先生」と呼んでもらっています。公私混同していないことを他人にわかってもらうためです。家族だけの時には、「パパ」「ダディ」でいいんです。
こういった区別は家庭教育でなされるべきなんでしょうが、今は無理です。学校でも教えません。私は研究室に入った途端、まずこれから教えます。秩序の第一歩ですし、これがなされていないと、仕事がうまく進みません。理屈抜きで行うことで、例えば信号などは、社会の定理なんです。社会は人の位置づけから始まることをまず教えないので、おかしくなるわけです。

祭り人

私が「ダイドードリンコ日本の祭り軍団」に参加して7年目になりました。このプロジェクト自身は8年目を迎えました。
日本の地方文化を支えている伝統的なものは、祭りです。物の「地産地消」は根付いてきました。これは、目に見える、手に取れる、味わえるなど、わかりやすいからでしょう。しかし、文化の「地産地消」も大切なのです。土地土地の文化は、それなりに根付き、その土地の人々の心に深く入り、誇れるものですが、それが祭りという抽象的な表現でしか表されず、広く全国的な一体感が熟成されないでいました。
それに気付き、リノベーションしようと考えたのが、飲料メーカーのダイドードリンコ株式会社(髙松富博社長)でした。それを仕掛けたのが、当時、株式会社博報堂にいた苦田秀雄氏(現サイバー大学客員教授)でした。苦田氏は、私と今から45年前、いっしょにエジプトに行った仲間でした。その縁で、私に声をかけてくださったのです。
私は、古代エジプト文明研究が本業ですが、エジプトを知るためにはエジプトだけをやっていてはだめだという考えを早くから持っていて、まず近隣の国、ギリシア、レバノン、トルコ、シリア、イラン、イラク、ヨルダン、イタリア、ブルガリア、リビア、チュニジア、南ヨーロッパ、オリエント、北アフリカと、なんと地球上180カ国も回ってしまいました。ほとんどがテレビ取材のアシスタントで、雑誌や新聞の仕事のときもありました。ともかく、回れば回るほど色々なことが比較でき、比較文明、比較文化という学問領域に入ることとなったのです。
その中で、古今東西人々が共通して行なっているのが祭りであることに気付き、祭りの中にある、地域文化の特色、生活環境とその変遷、そして伝統、宗教性と、そのファクターの多さと多様性に驚いたのです。
そんなとき、日本の祭り軍団に参加できるということで、心踊りました。どこの祭りも、その祭り人の情熱とプライド、集中力、金に糸目をつけない度量、すべて気に入りました。祭り人にとっては、自分のお祭りと他の祭りの比較など、とんでもないどころか、他の祭りは祭りでないと思っているのです。地球上に祭りはひとつ、自分のところのものだけです。ですから、ジャーナリスト以外「他の祭りはどうですか」とは聞かれません。それどころか「どうですかこの祭り」とさえも聞かれません。唯我独尊というわけです。それは、とても美しくうらやましいです。
中に入れてもらいましたが、分け隔てなく入れてくださいます。「日本の祭り」に入れてもらってよかったとしみじみ思っています。これもご縁です。

事業仕分けを見て

最近民主党が、国民の支持率を狙ってか、テレビで派手に事業仕分けを見せています。公開だからそれでいいのだ、と言えばそれまでですが、年端もいかない男性や女性が国会議員だというわけで、これまで勉強もしていないことを、専門家をつかまえてなじり、けなし、声を荒立て追求している画面を見て、気分が悪くなるというか、下克上の世界で農民が農具をふり回して武士や殿様を追い回しているような場面を見ているようです。これで、正義を通す民主党というイメージを国民にわかってもらえると思っているのが、もっと恐ろしいです。ヒットラーの初期と同じではないかと思うわけです。
国民の愚かさはさておき、国の指導者となる人は、たとえ悪い人でも、いや悪い人だからこそ、他人の目にさらさず直させるべきではないのでしょうか。悪人を悪人と知らしめることが目的なんでしょうか。それとも、悪いことを改め、国民のためになるようにすることが目的なのでしょうか。自分より年齢が上で、そのことを20年もやってきた人に対して偉そうなことを言う神経に、新しいファシズムを感じます。
この事業仕分けで、英雄になった方がいます。本人は意気揚々でしょう。しかし、危ういですね。本人に驕りが見えています。テレビ画面で見ていますと、下手に出ているように振る舞っていますが、心が驕っています。自分は正義の士だという言葉や振る舞いが見えます。
確かに、無駄をなくし国民に不利益な事業を見直す、それ自体は大切です。そのことをとやかく言っているのではありません。そのやり方があまりにもむごいと言っているのです。あのスーパーコンピューターばっさりのとき、「タレント風情に学術がわかってたまるか」と仲間の学者たちは言っていました。「1番じゃなければだめですか。2位じゃだめなんですか」一世を風靡した言葉ですが、日本はずっとずっと低い順位なのです。勉強不足です。
施設を見に行きます。アリが砂糖に群がるように、テレビカメラがついていきます。異様なパフォーマンス。あれを見ただけで、狂っていると感じる国民はいるはずです。こんな形で見せないと国民は納得しないと思っているのなら、次の選挙では、民主党は敗れます。いや、その前に民主党は分解しているかもしれません。残念だと思う国民は多いはずです。あなた方は立法府の人間だということを忘れなさんな、と私は強く言いたいです。

歩く

最近健康を考え、「歩く」、「自転車で遠出する」、「走る」などがはやっています。皇居の周りでは、かなり昔からそういった人がひしめいていましたが、今や、一般道にもかなりの数の人が、「歩く」目的で歩いています。目的地があって歩くというのが普通ですが、それらの人は、「歩く」ために歩くのです。手段が目的化しているのです。最近の日本を象徴していると思います。
解釈を広げてみますと、大学に入るために高校に入る。そして、勉強する、というわけです。「人生を何と思っているのだ」と私などは叫びたくなりますが、時流にはかないません。ですから、大学へ入ると燃え尽きてしまいます。そうしますと、4年間の暇つぶしにサークルに入ります。それも、ゆるいサークル、縛りの少ないサークルへ入るわけです。それは勝手ですからいいのですが、大学は勉強するためにあるという前提が崩れます。もちろん、そういった中で才能に目覚め、その道に行くということはいいのです。しかし、基本的に飛び抜けた才能がないので、何とか平凡でもいいから安全に食っていくために大学へ入るわけなんで、人生の目的は自分で持っていないと、何のために生まれてきたのかわからないと思うわけです。「大きなお世話」と言えばそうですが、私も教育者の端くれなので主張するのです。
それはそれとして、私も健康を考え、歩くようにしました。しかし、第一の目的は、歩くことではなく昼食をとるというものです。普段早稲田にいますので、今まではその周りで食べていました。時間がないからです。よって、時間を作りました。スケジューリングするとき、まず、11:30~13:30の2時間を昼食用にとりました。また、午前中にミーティングなどを入れないことにしました。朝7時から11時半まで、メール対応、手紙や原稿の執筆、調べもの、室内体操などをし、歩いて地下鉄で1駅のところ、高田馬場か神楽坂で昼食をとる。食後は歩く。打ち合わせなどは、13時半から1時間刻みで5つとる。夜の会合がなければ、歩いてスーパーに買い物に行き、自分で料理する。とてもいい日常生活だと思うのですが、土日はもちろんのこと、普通の日でも地方出張が多く、週2~3回しかこれができないのが悩みです。

禁煙

この10月からタバコの値段が上がったようです。そのため禁煙する人が増え、タバコの税収がおそらく年間2千億円減るだろうと予測している新聞もあります。9月終わりごろから、タバコのまとめ買いや、この機会にタバコをやめる、というコメントやシーンを流したテレビ局が少なくないです。
私は生まれてから今日まで、タバコを吸ったことがないし、吸おうかと思ったことがないし、おそらく死ぬまで吸わないと思うので、禁煙の経験がなく、その辛さを知らないので、えらそうなことは言えませんが、タバコの害は、かなり前からテレビや新聞で言われ続けています。それでもやめない人の意志の強さにびっくりします。本当のところ、吸っている本人の健康は、その人の自己責任ですから、他人がとやかく言うものではありません。もちろん、お医者さまに、これこれの理由でタバコは健康を害す、という情報というか警告はしていただいた方がいいと思いますが、その後は本人の問題です。
しかし問題は、タバコを吸う人の周りの人が被害を受ける点です。年間数万人の単位で、そういう人が出ると言われています。「タバコを吸ってもいいですか」と聞かれたら、「いいえ、ここではやめてください」と私は言いたいと思っています。
こうした中、私のタバコを吸う友人の中で、いく種類かの反応を見ました。(1)10月1日からやめた人、(2)直前にかなり買い込んだ風な、今持っているタバコが終わったらやめる人、(3)本数を減らす人、(4)やめようかどうか迷っている人、(5)絶対やめない人、です。そしてすべての人は、値段が上がったからではないと主張しています。ではどうして今なのかと聞くと、口を閉ざします。
いっそ、1箱千円にしてみたらどうでしょう。タバコ人口は大幅に減り、税収は少し上がるのではないのでしょうか。