カテゴリー別アーカイブ: コラム


日日是好日バックナンバー

Prof. yoshimuraこんにちは、吉村作治です。
「雲に梯(くもにかけはし)」という言葉があります。
私の70年はそういったものだったと思います。
「夢に向かって」とか「夢は叶う」というのが私の人生訓ですが、
71歳になってみますと、何て無謀な、そして思い上がったことだったと思うのです。しかしこうなったら死ぬまでこれで通そうと71歳の老人は発奮したわけです。
今年の目標は、もちろんエジプト調査、日本の祭り、そしてeラーニングの普及の3本柱に、キャリア・デザインを入れたいと思うのです。

「人は食うために生きるのではなく、生きるために食うのだ」
という諺があります。昨今の大学教育を見てみますと、就職に奔走し、一流企業に入ればいいという風潮です。私たちの学生時代、大学は就職のことにはほとんど関知しませんでした。
人生は自分のものだから、自分で道を探しなさいというのが筋なんです。
人生は一度きりです。好きなことをやって死んでいくのです。
そんな想いを子供たちに伝えたいと思っています。

ご好評のニコニコ動画の「吉村作治チャンネル」で、古代エジプトの映像配信を始めました。まずは貴重な空撮映像です。是非アクセスしてみてください。

トルコの大地震

トルコの東部のエルジシュやワンの周辺で、10月23日にマグニチュード7.2の大地震が発生し、大変な被害が出たとの報道がありました。死者500人に、けが人は1500人に達すると見られています。おそらく、救助活動が進むと、この数はもっと大幅に増えると思われます。
それにしましても、今年は日本の東日本大震災に始まり、米国のハリケーンや竜巻、そしてタイの大洪水と、立て続けに大規模な自然災害が世界中で起き、それにも増して、日本の福島原発、チュニジアやエジプトやリビアの長期政権の崩壊と、人災も多発しています。文明史的に見ますと、本当の世紀が変わる境い目ととれます。暦としての世紀の変わり目は、すでに10年以上前ですが、実態としてはこのあたりなのではないでしょうか。特に、産業革命以降の文明、大量生産と大量消費の時代、そして資本主義、エネルギー乱開発と無駄遣い、宗教間対決の終わりが近づいた感があります。自然災害を自然の活動と連携して考える、災害と捉えるのは人間のエゴだという意味がわかると、すべて人為的災害なのです。
この件に関する私の考えは、ビジスパ内の「吉村作治のe-パピルス」をご覧ください。
なお、今週号(10月28日(金)発行)の目次は、以下のとおりです。
・今週のことば 「アリバイ屋」
・気になるニュース 「ギリシア情勢」・「公務員宿舎」・「三権分立」
・ちょっと一言 「大学の秋入学」
・文明の未来
・考古学はマネジメント学だ
・冒険談
・古代エジプトふしぎ発見
・米子に学べ 「今日やらなければ、明日もやらない」
・声なき声 「就活」
・あの一言 「人は見た目が大切」
・素朴な疑問 「就職者支援制度」
・小さな親切大きなお世話 「大学のブランド力」
・日本の祭り 「博多祇園山笠」
・誰でもクッキング 「シンタウィ(エジプト料理)」
・作治抄 「ウォームビズ」
・ショートショート 「家族葬」
・「死」学のすすめ 私の「死者の書」 「玉川温泉でのこと」
などです。
読みごたえがあると思います。ぜひ下記の要領でご購読ください。
▽ビジスパ「吉村作治の週刊e-パピルス」詳細ページはこちら

カダフィ大佐死亡

ついにというか、やっとというか、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が、反カダフィ派の兵士たちによって捕らえられ、殺害されてしまったようです。私のエジプトの友人にこの感想を電話で聞くと、「やっぱりリビア人は野蛮だ。どんな圧政を行ってきたとはいえ、リビアがアラブ諸国の中で大きな口をたたけたのも、米英と真剣に闘ったのも、国をイドリス国王から無血で取り返し、国民のために尽くした男カダフィがいたからで、そういった男を、単なる独裁者として殺してしまうことの空しさを理解していない国民なんだ。やっぱりエジプト人とは違う。彼らは残酷な遊牧民だ」と激しく怒っていました。
私は一度、私たちの調査の現場に、当時のエジプト大統領ムバラク氏と一緒に見学に来られたとき挨拶したことがあるくらいで、面識はありませんが、表面的には颯爽とした、カリスマ性のある人物のように見えました。
独裁者の行き着く先はこういうことなんでしょうが、有無を言わさず殺すっていう行為は、悲しいです。ですから、エジプトのように裁判でムバラク大統領を裁くという方がずっと人間的です。
このところのリビアについては、ビジスパでも随分取り上げていますので、興味のある方は読んでください。
▽ビジスパ「吉村作治の週刊e-パピルス」詳細ページはこちら

ダイエット

自分ではあまり気にしてはいないのだが、他人からよく「太りましたね」と言われます。太ろうが痩せようが大きなお世話なんですが、あまりいい気分ではありません。医者が心配して、「太らないように食べる量をコントロールしなさい。肥満は万病の元ですから」と言ってくださるのはありがたいのだが、何の関係もない人に言われるとムカつきます。この言葉を発した人とは、一生口を利かないどころか、会わない、仕事をしないことにしています。
タクシーの運転手の中に、「近ごろ先生太りましたね」なんて言う人がいます。サービス業の人がお客に言う言葉かと言いたいです。そういうとき私は、理由を言ってそのタクシーを即降ります。近くの居酒屋のおやじが同じことを言ったので、その店へ行くのをやめて1年近くになります。男だって女だって、身体的弱点を突かれたり、能力のことを言われたら、腹立たしいです。近くの居酒屋のおやじはバカですが、私は一度も「バカだな、お前は」なんて言ったことはなかったのですが、そのときは、「オレは太っているが、お前はバカだ。太っているのは治せるが、バカは死んでも治らないんだぞ」と言ってやりました。
しかし、健康のために、自分では努力してダイエットしています。ダイエットの本は10冊以上買って読み、実践していますが、効果はあまりありません。全然ないわけではありませんで、今、バナナダイエットとりんごダイエットを交互に約半年やっています。半年で2kg痩せました。2kgでは見た目は変わりませんが、1年で4~5kg痩せると、少し印象が変わります。夜は早く食事するとか、でんぷん質を摂らないとか、肉は脂のないところを食べるとか、鶏肉か魚を中心に野菜を多く摂るとか、その他、30種類くらいの標語をカードに書いて、机の前に貼って口に出して言っています。でも、半年で2kg減るだけです。
この20年で30kg増えたので、これから20年で30kg痩せる目標をたてています。痩せなくちゃ、と暇なときに口に出しています。

信号

世の中にはいろいろな規則があって、がんじがらめの様相ですが、たいていの人はその規則を守ろうとしないし、それが通ってしまうのも不思議です。
新宿区では、歩行喫煙は禁止されているにもかかわらず、10人に1人は歩きながらタバコを吸っています。罰金はあるのでしょうか。自転車は歩道を走ってはいけないのに、スピードを出して坂を下っています。交番の前を通っても、警官は何も言いません。
人が道を歩くときは右側通行なはずなのに、なぜか左側を歩いている人が圧倒的に多いです。これは、武士の作法が今でも残っているからだそうです。武士は刀を左腰に差しているため(武士に左利きの人はいなかったのかしら)、左側を歩いていないと、とっさの時まずいのだと言っている人がいます。今では、武士どころか、若い人も左側を歩いています。しかも、武士のようにきりっとしていません。「人は右、車は左」と小学校のとき習っているはずなのに、どういうことなのでしょうか。
もっと不思議なのは、車道に車を無断で停めていると、監視員がちょこちょこ回っていて罰金を取るのに、歩道に自転車やオートバイを置いても平気なのです。「無法駐輪お断り」と書いてあるのに、断らないで平気で停めています。
そして、信号無視の歩行者の多いこと。左右確かめずに、赤だろうと平気で渡っています。車がやったら9000円の罰金です。少し気の弱い人は、横断歩道を外します。信号の見えないところを渡ります。こっちの方が、道路交通法的には罪が軽いのでしょうか。
すべて決まりを守りません。と言うより、守る気がないのです。自由平等民主が最も盛んな国日本、といえます。なのに、何か起きると、お上の責任だと騒ぎます。困ったちゃんだらけで、規則を守るのがバカバカしくなります。失業者が多いのだから、警官を増員して、取締りを強化してほしいです。

自粛ムード

私が参加しています「ダイドードリンコ日本の祭り」プロジェクトで、今回の東日本大震災の影響で中止になった祭りが32の内1つだとの報告を聞きまして、ホッとしています。その1つが東北の山田祭で、神社ごと津波で流されてしまったというので仕方ないと思いますが、この山田祭を来年こそは再生してもらおうと、今まで8年間で150の祭りが取り上げられたのですが、その祭り人が支援をしようというプロジェクトが立ち上がったとのことです。これぞ祭り人という気がします。
聞くところによりますと、世の中の自粛ムードにおされ、ほとんどの祭りが中止または延期を考えたようです。しかし、災害は今回が初めてのことではありません。記録に残っているだけでも、ここ千年のうち、災害のない年はありませんでした。もちろん、今回のような大規模、大被害のものは非常に少ないわけですが、そうした災害を少しでも少なくしようと、神さまに祈り、ないときに感謝し、来年の祈願をするというのが祭りの趣旨ですから、これでやめるというのは違うと思うのです。
ともかく、自粛ムードはとてもよくないと思います。今の日本の状況を見ていますと、ドロップスパイラルというか、奈落の底へ落ちていく感じがします。電力不足を救うための節電に反対するわけではありませんが、今の節電は行き過ぎていると思います。私は脚が悪いので余計感じますが、地下鉄のエスカレーターを止めるのはやめていただきたいです。上りだけでなく、下りの苦しさは大変です。また、お年寄りで荷物を持っている方、女性で妊娠している方、ハンディキャップのある方、皆さん階段で歩いています。パチンコ屋と自販機が都知事にやっつけられてしまいましたが、家電量販店や都庁の煌々と照らされている照明はいいのでしょうか。
第一、節電によって損失や補償金に支障をきたしている東京電力の収入を縮めているのです。そして、東京電力に不足分を供給していた中部電力の浜岡発電所を総理大臣の思いつきで止め、夏場に計画停電を起こさせてしまう愚行を許している政府及びマスコミ。「国民を考える」と言った民主党は、全く考えていないことを証明したと喜んでいる評論家。自粛すれば免罪符をもらったと考えることなかれ。日和見主義者たちよ、国家の中枢から立ち去ってください。
私は、日本初の完全インターネットの大学を本年3月末で辞めましたが、私の最後の仕事は、卒業式を公式に大学として止めたことです。それは自粛という意味でなく、大震災で何万人という人が苦しんでいるときに、卒業という個人の祝い事を公的にすることに、心の抵抗があったからです。批判もありましたが、教職員や学生たちの多くはわかってくれました。しかし、卒業を祝う気持ちはありましたので、卒業生の有志から祝ってほしいとの要望があったのを機に、有志主催という形でやりました。「よかった」というのが、その式に出ての感想です。
「自粛」は「萎縮」につながると思います。「がんばれ」という気があるのなら、持っている分でいいですからお金を使いましょう。お金を回さないことには、世の中よくなりません。今はなんとなく補助金目当てのムードがただよっています。お金は他人から分け与えられるのではなく、自ら稼ぐものであることを再度確認しないといけません。国民は自分に誇りと自信をもつべきです。
私の嫌なテレビのCMで、「がんばろう日本」とか、「東日本の人、がんばってください」というのがあります。もう既に十分「がんばって」いるんです。安全なところにいる人が、苦しんでいる人に向かって言う言葉ではありません。私たちは、東日本の人たちの作った食品や製品を買って差し上げることです。義援金もこのくらいにしておかないと、義援金によって東日本の人がスポイルさせられる恐れがあります。もし東日本の人たちが義援金中毒に侵されてしまいますと、日本の5分の1くらいを占める人たちを失うことになります。1日も早く生業を回復するように復旧、復興策を講じて、安全なところにいる私たちは、ユーザーや消費者になることだと思います。1日も早く自粛ムードをなくしましょう。

総理の権限

菅総理が中部電力の浜岡原子力発電所の操業停止を要請し、中部電力はそれを受け入れ既に停止したという出来事で、総理大臣の権限の強さを実感したと同時に、こういうことをやっていいのだろうかとの強い疑念を持ったのです。その後総理は、孫ソフトバンク社長にこの決定を「大変なる大英断だ」などと評されてご機嫌のようですが、全く困ったものだと思います。と言うか、国民を欺く茶番劇と言ってもいいと思うのです。
もちろん、原発の存在や継続については、今後の日本のエネルギー政策の一環として、科学者、企業家、政治家で議論すべきと思いますが、これは長期的なことで、中期的には、現在日本にある原発で、福島の東電の事故のような事態を起こさないためにはどうすればいいかを、科学的、技術的に検討すべきなことは言うまでもありません。そして短期的には、1日も早く現在の危機を収束させることです。これは、国民誰もが思っていることです。
しかし、こうした論があるにもかかわらず、何の科学的検証もせず、科学的データの裏付けもなく、ただ情緒的にというか、思いつきで浜岡だけを止める暴挙が総理にはできることが、驚きであると同時に、日本の民主主義は死んだという感想をもちました。それに対して、政治家が、止めるどころか、抗議や議論を仕掛ける人が誰もいないことに怒りを感じます。
今回の事故で、原発の危険性は十分知ったと思いますが、これは、原発のもつ危険性のうちの、東電の管理のずさんさに起因していることを第一に指摘されなければならず、原子力発電の問題点以前の問題であることを避けて通っていると思います。被害に遭われている方は当然怒っていいと思いますが、被害から遠くにいる方までもが「くそもみそも同じ」的な感情論に巻き込まれていることに、国家的な危機感をもちます。
「今、浜岡を止めた」合理的な理由を、総理は地震の可能性が87%あるからと言っています。地震が起きると福島のような事故になると、何の根拠で考えたのか疑問です。福島の事故は、元々の原因は地震と津波ですが、直接的には、冷却システムを動かす発電装置が起動しなかったことにあるのです。それが証拠に、女川も福島第2も大丈夫だったわけです。それ以外にも、原因があれば究明し、それを取り除けば、発電機を止める必要はないわけです。「地震・津波」イコール「今回の事故」でない、子どもでもわかる理屈を菅総理はわからず、心情的に停止を依頼するという愚挙と暴挙を、権限と権力をもって命じた、または強権で依頼したのです。菅総理が主張していた民主主義を守ることを放棄し、破壊したのです。今夏の電力をどうするかの方策も立てずにです。政治的パフォーマンスと言われても仕方ないし、事実そうだったんでしょう。日本国のナンバー1として情けないです。
日本中、地震と津波の起こる可能性だらけです。だったら、日本中の原発を止めるべきです。その前にエネルギー供給の手段を講じてのことですが。浜岡ひとつ止めてどうなるんですか。総理の権限の乱用で、誰かが菅総理を告発すべきでしょう。まさしく革新的政治家の主張である独裁国家の出現です。菅総理の思いつき、人気取り政策で、国民は今年の夏ひどい目に遭うのです。幼稚すぎる思考回路をもつ人は、たくさんいます。しかし一国の総理はそうではいけません。浜岡を停止し、他を放っておくのはおかしいですね。すべての原発に地震対策と津波対策のプランを早急に出してもらい、安心して生活できる日本にしてほしいです。
そして、長期的により安全なエネルギー製造の技術開発を国家プロジェクトとして始めてほしいです。すでに大学や研究機関でやっているところがあれば、それを推進するための予算をつけるべきです。21世紀は、環境に配慮したエネルギー製造と食糧生産を中心にするのが国家の役割で、あとのことは個人の問題と言っても過言ではないのです。この時期に政局をやっていていいのかと、評論家の中には言う人がいますが、ナンセンスです。政局とか、おためごかしの言葉を使わず、「こんな時期だからこそ菅総理にやめてもらいたい」と言うべきです。「代わりの人はいるのか」というのもナンセンスで、「力があると思う人になってもらい、だめならまた代わってもらえばいい」くらいの柔軟性をもたないと、この危機は乗り切れないと思います。

革命後のカイロ博物館

エジプトでは、今回の大デモから発生したムバラク大統領失脚事件を、1月28日革命と名付けているようですが、初期のカイロ博物館盗難事件を手始めとする、エジプト全土にある博物館への盗賊侵入事件は、目を覆うものがあります。当初、これらの盗難は、心ない市民運動家が理性を失って博物館に乱入し、手当たり次第に文化財の価値もわからず壊したり盗んだりしたものと報道されていましたが、革命が沈静化した今では、プロの盗賊団の組織的な犯罪であることがわかってきています。もちろん、中には、ついでに盗んでしまったという心ない市民の例もあるようですが、そういったものは、第三者を経由して返還されているものもあります。つい最近も、少年が落ち着いて考えると大変なことをしてしまったということで、親戚の人を通じて、罪としないことを条件に、カイロ博物館の展示品を4点返したとのことでした。
エジプトでは、古物を盗んだり、古物と知りつつ不法に売買すると、少なくとも終身刑、悪くすると死刑という決まりがあるからです。古物商はいますし、売買が行われていますが、その商品はほとんどがイスラム時代のもので、アンティークといわれていても、ファラオ時代やコプト時代のものは、布や板絵以外にはありません。中には、ローマ時代にファラオ時代のものを模して作った贋作というものがありますが、これは古いし、レプリカの商品として売り出されていて、犯罪にはなりません。
こうした背景のもと、今回カイロ博物館に行き、その時の状況を学芸員に聞きました。そして、現状を見てきました。盗人は、カイロ博物館の天井のガラス窓から、ガラスを破ってロープで2階に入ったとのことで、未だに1枚分ガラスがありません。よって、巷で言われているように、警護の警官がいない時に正面を突破したのではないことを物語っています。そして、降りたところが、ツタンカーメン関係の展示品のある、廊下になっている展示室の隣の室でしたので、まずそこにある陳列ケースを壊して、その中から展示品を盗んだため、その周辺にあったツタンカーメン関係の品々(7~8点)と、ティイ王妃(アメンヘテプ3世王妃)の父母であるユヤとツヤの品々をはじめ、100点近くのものを持ち去ったものと思われます。盗賊団は1チームでなく、少なくとも4~5チーム、総勢4、50人いたと思われます。現在まで、自首した者と捕まった者で10人内外、取り返された展示品10点近く。あと90点近くは不明であり、数日前に古物屋が外国へ輸出しようとしたもの2点が見つかっているとのことです。
考古大臣ザヒ・ハワス博士は、返還をテレビや新聞などで強く訴えていますが、必ずしもその効果は出ていないのが現状です。盗られたもののあったところに行きますと、以前あったものの展示ケースが壊されてなかったり、新品になっていたりしています。このため、エジプトで調査している外国隊は、1隊あたり1万ドルの自主的寄付を強要され、私たちも1口出しました。
しかし、はじめてカイロ博物館に来た人には、そんなことがあったという感じは全くないです。その日も、10組の外国人ツーリストがあの広い館内にいましたが、本当に気の毒になってしまいます。普通100組以上のツーリストが午前中の1時間にいるのですから。今後どうなるのでしょう。新しい博物館もペンディングですし、先が見えない状況です。

再びオサマ・ビンラディン

連休中、久々にエジプトに行きました。約3ヶ月ぶりです。それまでは毎月1回行っていたので、私としましては久しぶりです。
1月28日のエジプトにおける大デモを発端に、ムバラク大統領の辞任と、エジプトは大きく変わりました。もちろん私の行ったときには、少なくともカイロや観光地ギザでは、何の変わりも感じませんでした。ただ、あまりにもツーリストが少な過ぎます。ホテルもほとんどがガラガラで、従業員の方が多く感じるほどでした。レストランも博物館も、町行く観光バスも少なく、このままでは、観光立国エジプト危うしです。日本人は、行きも帰りも、飛行機にはひとりも乗っていませんでした。危険度がレベル2なので、団体旅行ができないからだそうです。入国審査官が、「何しに来ましたか」と私に聞くではありませんか。エジプト入国で初めてのことです。おそらく放射能持ち込みを案じてのことでは、と私の息子は言っていました。日本人は人を見てガイガーカウンターで調べられることがある、と飛行機のスチュワーデスが心配していましたが、そういうことはありませんでした。
さて、この度は、私たちのやっている第2の太陽の船プロジェクトの再開を、考古省と話し合うのが主目的でした。それと、大騒動で大変だったと思われる在エジプト日本大使館に、わが隊員がお世話になったお礼と慰労。そして、最近のエジプト情勢を知るということでした。すべてうまくいき、プロジェクトは動き始めました。幸い、旧エジプト考古庁長官が、省に昇格後も大臣として留任したこともあり、スムースに事は進んだのです。日本大使も公使も参事官も、皆さん元気でした。
しかし、この間起きたオサマ・ビンラディンの暗殺についての報道はすごかったです。基本的に、エジプト政府はテロ反対ですし、エジプトの宗教団体は反ビンラディンですから、反米活動としてのデモなどはありませんが、「なぜ米国は、この時期にオサマ・ビンラディンを殺したのか」という問いが大きかったです。「オバマ米大統領の選挙用パフォーマンス」というのが一番大きかったですが、「実際には数ヶ月前に殺されていたのを、英国のロイヤルウェディング後という時機を見て発表した」とか、「実はまだ殺さず拘束している」などの噂が広まり、それについて、ひとつひとつコメンテイターが、あたかもその場にいたような素振りでテレビで語っていました。
その中で一番気になったのは、「なぜ、皆世界中がオサマ・ビンラディンについてそう大騒ぎするのでしょう。彼はとっくに終わっていましたよ。彼は全ての財産を使い果たし、あとは死ぬのを待っていただけでした。そっとしておけば、1、2年のうちに世界史の中から消えていったはずなのに、愚かな米国によって再び歴史に呼び戻してしまったのです。もうアルカイダは資金が枯渇し、活動はできませんからね」というコメントです。こんな的確なコメントを、日本のアラブ通はしません。
それにしましても、パキスタンがオサマ・ビンラディンをかくまっていたかどうかは別にして、3機ものヘリコプターがインド洋上から自国の空を通って暗殺をして死体を持ち帰るという作戦を知らなかったとは、不思議というか、セキュリティはどうなっているのか疑問を感じます。どんな人物でも殺していいわけはありませんし、パキスタンの主権をないがしろにしていいはずはないわけです。エジプト人の多くは、死体を海に捨てた-水葬にしたと米国は言っていますが-ことに怒りをもっているようです。どんな犯罪者でも、死体は土に返す。そして、あの世に行く前の裁判で有罪ならば地獄に堕ちるという、死の権利は守るべきだというのです。また他のジャーナリストは、「9.11を起こしたのがオサマ・ビンラディンだという証明はされていないのに暗殺するのは、米国として恥ずべきで、中国や北朝鮮に人権を守れと言っているのを撤回すべきだ」と言っています。
どれをとっても、その言葉は立場立場で正当性はあるのでしょうが、飛行機に乗ったり、外国に行ったり、送金したりするのに、とても不便になりました。それと、日本中が放射能に汚染されているという風評は困ったもので、私たちの機械がエジプトで輸入通関できなくて困っています。

がんばれコールはいかがなものでしょう

東日本大震災で大きな被害に遭われた人に向かって、ACなどが「がんばれ」コールを画面を通して叫んでいるのを見て、いい感じを持っていませんでした。先日、ある著名な脳学者の方にお聞きしたら、あれは被災者の方の心をより大きく傷つけるものだとおっしゃっていました。被災者の方は、災害時から今日に至るまでがんばっているのに、何の被害も受けていない外野から「がんばれ」と言われると、何か自分ががんばっていないように他人にとられていると感じてしまうのだそうです。
それが証拠に、あるテレビ番組で被災者が、インタビューをしたキャスターが最後に言った「がんばってください」との言葉に、急に荒々しく「がんばれ」はないだろう。今だってがんばっているんだよ」と言っていました。
みな悪気はないのでしょうが、KYですね。本当にがんばらなくちゃいけないのは、言っている人で、がんばって義援金を集めるとか、ボランティアに参加するとかしないといけないわけです。同じことをするのでも、当事者でないのですから、がんばらなけりゃやれないわけです。
もうひとつ印象に残った被災者の方の言葉。「全国からお金や物資をたくさんいただいてうれしく、また感謝していますが、このままだと私たちは飼われているような感じをもちます。金や物より仕事をください。未来をください」という言葉です。
本当の人間の幸せって何かを考え直すべき時が来、また、私たちは神に試されているのではないでしょうか。お金は必要条件だけど、十分条件ではないという証明でしょう。